三木句会ゆかりの仲間たちの会:関根瞬泡著『芥川』よりエッセイ・シリーズその3 | sanmokukukai2020のブログ

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   三木句会ゆかりの仲間たちの会:関根瞬泡著『芥川』より エッセイ・シリーズその3

 

 

   海野宿

 

    今迄にも私は1度にわたって一茶さんの風景を描いてきた。これで3度目である。1度目は

   小千谷の「へぎ蕎麦」からの連想で、これは全くの空想であった。2度目は、一茶さんの生

   まれ故郷の柏原を訪れた時の感想で、これは相当実感を伴っていた。

    今度はその中間である。舞台は生まれ故郷の柏原からはかなり離れ、北国街道も上田を

   過ぎて終わりに近くなってきたところの海野宿だ。もう少し行くと追分宿に至り、そこか

   ら先は中仙道となる。中仙道に入れば、気分の上ではもうじき江戸に着けるという感じで

   ある。一茶さんはこの宿を何度も行き来した。江戸と柏原の中間地帯、と言いたいところ

   だが、まだまだ故郷寄りではある。この事が一茶さんの心理状態を微妙に動かした。

 

            夕過の臼の谺の寒哉

 

    この句は文化9年11月の作とあるから、おそらく、一茶さんが江戸での、少年時代から

   50代にいたる、その何ともやるせない長かった暮らしを清算し、故郷、柏原での永住に向

   かっていた道中、この海野宿で耳にした臼の谺を詠んだものであろう。

 

    信濃の冬は寒い。あっちを向いても山、こちを向いても山また山だ。今回も江戸から中

   仙道を北へ北へ、ひたすら北へ、歩きに歩いて、碓氷峠を超え、あの、「さらしなの月と

   みよしのの花とを追分宿」を過ぎ、この海野宿までやってきた。この先、千曲川の流れに

   沿って、松代を過ぎ、それから一寸進路を変え、善光寺の脇を通って山道を上ればやがて

   柏原に行きつく。今はもう11月末、雪がちらちら降っていた。

    宿場には人通りも少なく、あたりは深閑としている。短い冬の日は既に暮れていて、獣

   が出てきそうな暗い闇はそら恐ろしくもあった。と、そこに、カラリ、カラリと臼をひく

   音。それが、いやにカン高く、澄んで、闇夜を突き破り、近くの山に谺している。

    その音の一つ一つが、長くつらかった江戸での生活の一コマ一コマのように一茶さんの

   脳裏に蘇る。弟との遺産相続問題はこじれにこじれ、その交渉のためにこと海野宿を行き

   来したのはもう何回になろうか?今度こそは、今度こそは決着を、と思いながら、いくた

   び苦渋の回数を重ねてきたことか?しかし、この度は、心底、不退転の覚悟だ。文字どお

   り、もう江戸には戻らない。たとえ、野垂れ死にしようとも、この信濃に居残るつもりだ。

    その音を聞いていると思わず身震いがしてきた。それは、もとより、この身を切るよう

   な寒さのせいでもある。しかしながら、そればかりではない、なにかこの先に待ち受けて

   いる運命のようなものへの強い不安のせいでもあった。それに、いままでの悔しい日々の

   思い出が追い撃ちをかけた。臼の谺はまだ続いていた。臼をひいている人は必死になって

   ひいている。自分も必死になってそれを聞いていた。

 

         是がまあつひの栖か雪五尺  (一茶)

 

    その言葉通り、丁度、それから15年後、一茶さんは、この雪深い信濃でその波乱に富ん

   だ生涯を閉じた。                        

                                  (2007年6月)

 

 

 

               

                                     photo: y. asuka

                                             白黒の映画の如く冬の川   関根瞬泡