関根瞬泡著『芥川』より、エッセイ・シリーズ
2010年春に出版された『芥川』(そうぶん社出版)は、関根瞬泡さんによる『白』誌
216号から243号に掲載されたメンバーたちの俳句の鑑賞、2004年以降に書かれたエッセ
イ、そのほか詩、俳句などから成っているご本です。
このエッセイをシリーズとして、ゆかりの会のブログに掲載させていただくことをご提
案し、快諾していただきました。
毎年毎年、おびただしい数の本が出版され、あっという間に書店の棚から消え、また新
しいベストセラーが生まれ棚に現れる。昨今はチャットGPTとか生成AIといった便利なも
のが作文・作画してくれる世の中。そうした中で、派手ではないけれど滋味溢れる文章に
出会うとほっとします。瞬泡さんの随筆はそんな印象を抱かせてくれます。
磯原の浜ーー野口雨情の風景
小さな岬が見える。そして、そこにお椀を伏せたような、こんもりとした小さな松の山
が見える。天妃山という。その麓で、遥か吾妻の山波から下ってきた大北川が、ゆっくり
と右に迂回しながら海にそそいでいた。
目を左に転じると、北に向かう砂浜の海岸線に沿うように、これまた、こんもりとした
小さな島が、それよりもずっと小さな岩礁のようなものを伴って並んでいる。二ッ島とい
う。そして、その向こうには景勝地として知られる、切り立った緑の松の五浦海岸が横た
わっていた。
しかし、これは、今、私がこの地を訪れた、一観光者の目にうつる五月の風景だ。この
辺では、彼方にひらける広大な太平洋をも含めて、一年中で最も美麗に輝く季節であろう。
末の松並 東は海よ 吹いてくれるな 汐風よ
風に吹かれりや 松の葉さへも こぼれ松葉に なって落ちる
・・・・・・・
風に吹かれた 汐風に 啼いてくれるな 渚の千鳥
末の松並 風ざらし
(野口雨情作詩、「磯原小唄」より)
ここに住む地元の人達にとっては、むしろ、上記の雨情の詩に込められた風景が脳裏に
定着した実感であり、原風景ではあるまいか?
雨情の生家はそんな風景が見渡せる小高いところにあった。遠い先祖は、かの、楠 正成
にもつながる名族である。江戸時代の頃から代々この地に住んで、御三家の一つ水戸藩か
ら俸禄もいただく郷士の家柄であり、土地の人達からは磯原御殿と仰がれていた。その祖
先らの中には数々の文才や画才などに恵まれた人達もおられたようだ。雨情は長男でその
第10代目の当主であった。
文明開化の明治時代、その頃に青春をむかえた多くの知識人の例に洩れず、雨情も、一
度、結婚し、家督を継いだものの、以前より胸にわだかまって離れない激しい詩情につき
動かされ、とうとう家も家庭も捨てるようにして、故郷を飛び出してしまった。
一時は北海道に渡って、新聞社に勤め、あの石川啄木とも親交を深めたこともあった。
また、遠く樺太にも行っている。それ迄にもさかんに詩を作り東京の関係誌に発表したが、
全然認められなかった。最初の頃の詩には、何と、革命運動の機関紙に発表した次のよう
なものもある。
貧者よ耳を傾けて 聞け使命者の福音を
小さな島の天地に 自由の旗を翻し
美しき戦ひ聞け ・・・・
(「自由の使命者」より)
雨情は、どちらかというと、もの静かな、人と争うことを好まない、腰の低い人柄だっ
たという。その後の童謡などでのめざましい活躍と合わせ見る時、私は、ここに、常に弱
者の側に立とうとする雨情の優しい心根を見る思いがしてならないのである。
(2007年5月)
photo: y. asuka
来し方を振り返るとき亀鳴けり 関根瞬泡