有馬英子の俳句 | sanmokukukai2020のブログ

sanmokukukai2020のブログ

ブログの説明を入力します。

   有馬英子 第一句集『深海魚』から

 

 

   東京の吐く息に耐え紅カンナ

 

   台風のはぎとってゆく面の皮

 

   秋雲の空に描き出す古代文字

 

   鯛焼にはらわたのあり十二月

 

   もろもろを柚子湯に浮かべ泣き切れず

 

   マフラーを若さで巻いて大男

 

   冬の夜の読み解く父のものがたり

 

   からっぽの空見て笑う寒鴉

 

   寒夕焼橋のむこうに橋が見え

 

   立春を五分遅らす長電話

 

   東京の微熱うばえぬ春の雪

 

   階段の踊り場にいる春憂い

 

   春寒し加賀の女の言葉数

 

   桜餅一皮むけばうつろかな

 

   花満開水をさがしに隅田川

 

   惜春の犬と目が合う車椅子

 

   虹またぐ少女の足の長さかな

 

   色つきの夢の疲れや真白き蛾

 

   あこがれて泰山木の花の下

 

   蟻の列たどれば近き父の墓

 

 

                      『明瞭なる書』   會津八一

                          『近代藝術家乃書』より

   明瞭なる書

    會津八一は中学の頃から、正岡子規の『ホトトギス』に投稿し、地元誌に俳論を掲載す

   る文学少年であった。意外なことに、書は生来の左利きのため、手本の通りに書くことが

   できず、最も嫌いな科目であったという。

    万葉の歴史と風土を愛し、多くの和歌を詠んだ會津八一は、生涯、権威や集団におもね

   ることなく、孤高の精神を貫き通し、自らを秋艸道人と号した。

    独特の仮名表記による最初の歌集『南京新唱』は一世を風靡し、今も読み継がれる名作

   であり、又、美術史研究家としても優れた業績を残している。

    會津八一は、法帖ではなく新聞の活字である明朝体を手本として、線の修行を始めた。

   書家では考えられないこの方法によって、書の骨法を体得する。明瞭であることを基本と

   し、文字の芸術性を模索するなかで独自の書風を確立し、既存の書作のあり方に疑問を投

   げかけたのである。

    良寛を敬愛し、中央文壇に広めるきっかけをつくった八一の書には、平明さと豊かさが

   同居している。「文字は明瞭を尊ぶ」とは、高い見識から生まれた會津八一の言葉である。

 

                           梶川芳友 『近代藝術家乃書』より