放課後 | sanmokukukai2020のブログ

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    放課後

 

   長く三木句会のメンバーとして欠かさず出句されている幸野穂高さんは、今年90

   歳になられますが、まだまだご一緒に俳句を楽しんでいただけそうです。自己紹介

   をお寄せいただきました。

 

   <私の生い立ちと俳句について>

    私は品川区立延山小学校(当時は国民学校)6年第1学期終了と同時に、妹2人

   を連れて両親の生まれ育った新潟県境に縁故疎開をしました。私は父の実家へ、妹

   2人は隣村の母の実家に世話になることになりました。

    私は東京で育ちましたが、疎開した3年間は全くの信州人になった気持ちでした。

   毎年、終業式の終わった春・夏・冬の休暇には必ず信州の田舎に世話になってきま

   した。「お国はどちらですか」と聞かれると必ず「信州です」と答えております。

    私の過ごした村は戦後、上木村、往郷村と3村合併し木島平村となりました。本

   来は下高井郡穂高村と呼ばれていた村名が消えてなくなるのが誠に寂しく、村名を

   私の脳裏に植えつけたいと思い俳号にした次第です。

    木島平村は飯山市より東に千曲川を挟んで1里ほど入ったところにあり、かの有

   名な斑尾山を西に、高井富士を南に、東には三国山脈につながる全くの盆地になっ

   ております。旧制中学に入学した昭和20年はことに雪がひどく、1メートルも積

   もった雪道を毎日通ったものです。

    通常の「穂高」は安曇野の「穂高」を指しますが、村名が消えてなくなる寂しさ

   に耐えられず、繰り返しになりますが、私の脳裏に植えつけたいと思い俳号としま

   した。

    俳句作りは私の担任の趣味であり、もとの職場の同好の志と集り、句会に投句

   したり、高齢者の集まりである「品高連」に投句したりしています。私の参加する

   句会は随分遠くにあり、一つは成城学園前の区のホールにあるので投句を楽しんで

   おり、長野県人会誌にも投句して多くの友人達と楽しんでおります。

    私の最近の10句を披露します。

     若水を汲み暁闇仰ぐ一つ星

     語らずも胸襟開く故里(さと)の春

     今生の福を授けよ初みくじ

     花菖蒲生ある限り凛と咲く

     父の日や頑固な父になきジョーク

     湯浴みして父なつかしき浮いてこい

     我が升ではかりきれない新樹光

     先読めぬ今生をすてて蛍追ひ

     人生は他力に頼り年迎ふ

     ビールの泡ぐいと飲み干し賑やかに 

 

 

   今までのブログに載せた写真から俳句を詠んでいただく試みをみなさまにお願いし

   ていますが、今月は、佐藤花子さんから2句寄せられました。

 

 

                       '21年10月句会報

                                                       秋の浜トルコブルーの首飾り

     

                               '21年11月 英子さんを悼み

                                                      寒林やガリバーの国迷い入り

 

   樹 水流さんから1句寄せられました。

 

        '21年11月 放課後

手を振ったあなた今どこ大枯野

 

 

 

    通信句会が丸2年も続き、いったい自分の俳句はどっちを向いているのだろう、

   このままでいいのだろうか…などなど、不安になってくる方もいらっしゃると思い

   ます。”先生”という方につかないと学びができないのでは、と感じられる方もい

   らっしゃるかもしれません。

    そこで、こんな一文を目にしましたので、みなさまと共有したいと思います。

                                     (遊子)

 

 

    『現代俳句』2022年1月号「句集燦燦 明日へ」中村和弘(現代俳句協会会長)

 

   (前略)

 

   句集『此処』(池田澄子)

    池田澄子俳句を理解する上で良い著書がある。ご本人の評論集『休むに似たり』

   である。その中の、「学んで、なぞらないーー師から何を受け継いだか」の見出し

   の文章の中に『思えば昔、顔をみたこともなかった先生に思い切って師事を乞うた

   私の手紙への返信には、「俳句は自己啓発あるのみ」と書かれてあった。手本のな

   い世界や方法を手に入れるには自己啓発しかない。‥‥それこそが三橋敏雄に学ぶ

   ということであったし、俳句だけでなく表現行為はすべて、まさにそういうものだ

   と深く思う』とある。

    おおよそ主宰誌は、こんな事を教えないのではないだろうか。つまり「学んで

   なぞれ」と言葉に出さなくても、教えているのではないかと思う。それが証拠に主

   宰誌には主宰の作品の類想句が実に多いのではないか。池田澄子は、当初から「俳

   句は自己啓発あるのみ」の厳しい場所に身をさらし、俳句を作り続けてきた稀と

   言っていい作家であろう。そして師三橋敏雄の類想どころか影響もないような独自

   の表現スタイル、俳句が生まれたのであろう。

     花冷えのこころが体を嫌がるの

     胸に入る空気春です春ですと

     首の根に脈あることも桜の夜

     冬に入る深くお辞儀をして別れ

     花月夜このまま運が尽きても可

     猫の子の抱き方プルトニウムの捨て方

     仔猫かな甘噛みだってもう出来る 

     秋ざくら情欲衰ろうるも快哉

 

   (以下略)

 

 

                                                                                                    photo: y. asuka

                                                 いつしか人に生まれていたわ アナタも?  池田澄子