わたしの好きな俳人の五句
中村草田男(なかむら くさたお) 選んだひと 幸野穂高(こうの ほだか)
草田男の句は学生の頃より反発と同感の二面があり、身近に感じておりました。
私の句は田舎俳句と言われながら親しんできました。その影響は今日まで引き継が
れ、私の俳句の原点になっております。
蒲公英のかたさや海の日も一輪
耕せば動き憩へばしづかな土
災熱や勝利の如き地の明るさ
咲き切って薔薇の容を越えけるも
葡萄食ふ一語一語の如くにて
内藤丈草(ないとう じょうそう) 選んだひと 藤井 素(ふじい もと)
陽炎や塚より外に住むばかり
大原や蝶の出て舞う朧月
水底を見て来た顔の小鴨かな
白雨にはしり下るや竹の蟻
藍壺にきれを失ふ寒さかな
丈草は芭蕉晩年の弟子です。尾張犬山藩士でしたが、青年期に参禅、後に遁世。
江戸前期の俳人ですが、その凜とした清澄な句に人柄が重なります。
小町 圭(こまち けい) 選んだひと 飛鳥遊子(あすか ゆうこ)
「小町圭にはいささかの覚悟が窺われる。それは、いわゆる俳句の王道のように
書くのではない。通俗と紙一重のところでのせめぎ合いを恐れずに、これまで流布
されてきた俳句とは違う、少しでも新しみのある俳句を書こう、詠もうとしている
のである。それこそが現代俳句の在り様だと信じているのである。古人曰く、「新
しみは俳諧の花也」と。しかも「新しみはつねに責むるがゆゑに」ともいい、その
道は困難な道行でもある。思えば千差万別、俳句を極めて行くにはさまざまな道が
ある。それにしても、小町 圭はつくづく難しい道を選んで歩んでいるのではないか
と思う。」(「俳句の花」大井恒行より抜粋)
おじいちゃんはとてもあたたかな切株
孔雀に羽広げられても困るなり
あふれる湯二人で入れば柚子が邪魔
一億円金魚を作ろうと思う
涼しくて淋しい夫婦別姓
*今月の「わたしの好きな俳人の五句」は予定していたお二人が残念ながらの不
参加となり、藤井 素さんと飛鳥遊子が代打を勤めました。来月からはスケジュール
通りでお願いいたします。
photo: t. kato
蛇は全長以外何ももたない 中内火星