有馬英子その生い立ちと俳句 | sanmokukukai2020のブログ

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   有馬英子その生い立ちと俳句

 

   第12章

 

    なんとか大学も3年生になり、寮から出てMやんとの2人暮らしが始まりました。

   2軒長屋の片方を2人で住むのです。

    6畳1間に台所と便所付きで6000円、2人で分けて3000円、食費も分け

   ていくらぐらいかは忘れてしまいました。しかし食費の管理は私がしていたらしい

   です。その家計簿が20年ほど前まで棚の隅にあったのですが、今は何処を捜して

   も残念ながらありませんでした。

    私が困ったのは、便所(次からトイレにします)が使いにくくて、はっきり書け

   ば落ちそうなのです。今なら私はすぐ大家さんに頼みに行けたものを・・・。恥ず

   かしいなどと大馬鹿ですね。本当に半分落ちてしまいました。そんなこんなでトイ

   レには思い出が尽きません。

    そしてもう1つ、お風呂がなかなかに骨が折れました。小さく薄暗い滑るお風呂

   場で、誰かと一緒でないと、・・・無理でした。

    そして肝心の食のことですが、人間なんとかなるもの。飢えること無く、後輩に

   ご馳走した(?)ことも覚えています。波瀾万丈の生活も若さで楽しめた気がします。

    東京の両親は少し慣れてきたようでした。父は東京の書籍関係には知り合いも多

   く、よく東京に来てくれたという人もいて、母から「調子に乗らないで」と釘を刺さ

   され以後のことは、私が忘れております。2人ともに悩みながら愉しそうではあり

   ました。

                                <7月号につづく>

 

 

 

                                                                                                 英子書

                   梅雨寒や左手で書く私小説    有馬英子