有馬英子その生い立ちと俳句
第12章
なんとか大学も3年生になり、寮から出てMやんとの2人暮らしが始まりました。
2軒長屋の片方を2人で住むのです。
6畳1間に台所と便所付きで6000円、2人で分けて3000円、食費も分け
ていくらぐらいかは忘れてしまいました。しかし食費の管理は私がしていたらしい
です。その家計簿が20年ほど前まで棚の隅にあったのですが、今は何処を捜して
も残念ながらありませんでした。
私が困ったのは、便所(次からトイレにします)が使いにくくて、はっきり書け
ば落ちそうなのです。今なら私はすぐ大家さんに頼みに行けたものを・・・。恥ず
かしいなどと大馬鹿ですね。本当に半分落ちてしまいました。そんなこんなでトイ
レには思い出が尽きません。
そしてもう1つ、お風呂がなかなかに骨が折れました。小さく薄暗い滑るお風呂
場で、誰かと一緒でないと、・・・無理でした。
そして肝心の食のことですが、人間なんとかなるもの。飢えること無く、後輩に
ご馳走した(?)ことも覚えています。波瀾万丈の生活も若さで楽しめた気がします。
東京の両親は少し慣れてきたようでした。父は東京の書籍関係には知り合いも多
く、よく東京に来てくれたという人もいて、母から「調子に乗らないで」と釘を刺さ
され以後のことは、私が忘れております。2人ともに悩みながら愉しそうではあり
ました。
<7月号につづく>
英子書
梅雨寒や左手で書く私小説 有馬英子