わたしの好きな俳人の五句
高野素十(たかの すじゅう) 選んだひと 白樫ゆきえ(しらかし ゆきえ)
明治26年茨城県の農家に生まれる。大正7年東京帝大医学部卒業後、医学系大学
で教鞭をとりつつ、俳句は高浜虚子に師事。その作風は徹底した凝視と精確な描写
にある。晩年を神奈川県相模原市(旧津久井郡)で過ごした。(素十俳句365日/
村松紅花 編著)より
水仙の花の伏したる雪の上
甘草の芽のとびとびのひとならび
種蒔の一人一人の五六人
稲刈って畦は緑に十文字
惜春の座に一人狂言師
五句を選ぶのは大変なことでした。どの句も情景がぱっと目に浮かんできます。
素十が「芹」を創刊主宰した時の挨拶の言葉
「俳句の道は たヾ 写生。これ たヾ 写生。」を目指したいと思います。
日野草城(ひの そうじょう) 選んだひと 佐々木 梢(ささき こずえ)
好きな俳人の俳句をという課題に、俳句の世界をまだ良く理解出来てない私に
とっては、かなり難しいことでしたので、俳句よりも俳人を調べることを先にしま
した。その中で昭和初期の新興俳句運動の中心的な人物であり、伝統的な俳句だけ
ではなく、女性を素材とした俳句を多く作られたことを知り、日野草城の俳句を少
しづつ読んでいます。
青蚊帳を ふちどる紅の なまめける
薫風の 素足かがやく 女かな
梶の葉に 書く歌おほき 古娘
白団扇 一つ西日に 置き放し
大沼の 夜の光や 蛍狩
大牧 広(おおまき ひろし) 選んだひと 飛鳥遊子(あすか ゆうこ)
(今回、欠場者が出ましたので、急遽のピンチヒッターです)
平成30年秋、大牧 広87歳の年に上梓した第10句集『朝の森』からの5句。
大牧氏は”時代””世”を見つめ反骨であり、平易な表現で歯に衣着せずの句が多い。
身辺のこと、念い、社会批評を飄々と自分を嗤いながら詠む。衒いや抽象から遠く
にいる。
持ち時間減らして去りし黒揚羽
蝶の飛翔を目で追う。それほど長時間とも言えない時間であっても、蝶にとっては
長くはない命の持ち時間を減らしている。自分にも当てはまること。
達観は嘘だと思ふ新生姜
ある年齢になると悟りとか諦念とか、世の事象に達観する、と言われている。が、
それは嘘。いや、達観してはいけない。反骨の人はnoはno!と言う。それはガリ
リッと新生姜を噛んだ時の衝撃のよう。
膝掛を引きずり速達受け取りし
ピンポーン! うつらうつらからはっと正気にもどり、慌てて膝掛けを引きずりな
がらインターフォンへ。再配達は自他共に面倒だ。同感と哀感。閉じこもりで句材
がないから、、、への一つのヒント。
八月のちかづくにつれ足攣りし
俳句で8月といえば敗戦・終戦。身体の不具合の中でも足がつる、と言うなんとも
言えない不快感をとり合わせた。終戦時は56歳。戦時中、俳人も厳しく統制を受
け、投獄者も出た。
正論が反骨となる冬桜
「大牧 広のような俳人をどうしてもっと早く評価しなかったか」と金子兜太が協会
に苦言を呈したと言う。終始一貫して庶民の目から反骨を貫き、ぶれなかった。亡
くなる直前に蛇笏賞。
photo: y. asuka
てふてふに獣の顔のありにけり 辻 桃子