<写真投稿>
庭の白木蓮です。虹色の光が入りました。 佐藤花子
<2月号ブログから>
工藝サロン梓で句会が持てていた頃、浜風句会の聖木翔人さんが参加してくださっ
たことがあります。以来、ブログも見てくださっているようで、<わたしの好きな
俳人の五句>で記した書物のことについて、メッセージをいただきました。
「今井聖」のこと。早速「ライク・ア・ロ-リングストーンー俳句少年漂流記」
(岩波書店)読みました。一気に読みました。一気に読ませる自伝的小説であり、
しっかりした戦後俳句史の証言でもあります。こんなに一気に1日で読んだのはひ
さしぶりです。なまなかの小説より面白い。
冷静な筆致と、冷静な俳人、俳壇評(誓子にはちと異論あるが、よくわかる)。た
しかに本人は本人の境遇を嘆いていますが、なかなかの「血統のなかのボンボン」
な人間。しかも俳句天才。
印象として鮮明で心打たれるのは「寺山修司との出会いと決別」の話、親しく信頼
しあっていた「平井照敏とのかなしい別れ」の話 、加藤楸邨を支えた「寒雷・同人
会長牧車さん」の人間その生き様と関わり、などなどは、俳句を通じてのある深い
「物語」のような話。いくらかでも俳壇史に興味と関心があれば、ぜひ読んでもら
いたいところ。
つくづく俳句は年若い頃から始めなければものにはならんと思いました。すべてが
そうです。多くの「早熟の天才・異才」が現在も先頭を、老骨に鞭打って走ってい
ます。 聖木翔人(浜風句会)
<2月号ブログから>
親密な春光に解くわが擬態 飛鳥遊子
「親密な」という形容詞を選んだことがこの句の決め手だと思う。擬態には隠蔽
的擬態と標識的擬態があるという。いずれであるにしても、人は自分以外のものに
擬態したい望みを持っているものであろう。それなのに自分らしくないことには違
和感を覚えながら生きている。複雑である。
この句は意識的、無意識的に自分自身に戻るときが春の光に触れたときだと語って
いる。その春の光に「親密な」という形容詞をあてたことで光の柔らかなやさしさ
が増幅する。身を縛るようにいかめしい冬の光から逃れ、春の光を親密に感じ始め
たら擬態を解くときである。春は人を素直にその人に戻してくれる。
春光という季語には、「春景色」の意もあるようだが、この句の場合「春の光」と
読みたい。「春の光」の性質を的確にとらえた句だと思う。 太田酔子
<2月号ブログから>
英子さんの辿っていらした病気との長い長い日々。「有馬英子その生い立ちと俳
句」シリーズを読んで、その現実を前に、私はどのような言葉かけも空疎で無力に
感じます。文中のお母様の書き付けや、療護園に提出された感想文からは、愛情豊
かなご家族の関係性や、特にお母様の前向きな思考に目を見張ります。短い文章の
どこにも「あかるい」「楽しい」などの言葉が多いことです。高校生から大人になっ
ていくこれからの展開を、ドキドキしながら読ませて頂きます。くれぐれも無理し
ないで続けてくださいね。 田中 梓
photo: ©️大成建設株式会社
白い体操の折り目正しく弱るキリン 赤尾兜子