次は瞬泡さんの添削コーナーです。
「花減りても変わらぬ姿立葵」 草野きょう子
この句、「変わらぬ姿」という表現がいいですね。一寸、言い方を工夫すると、もっ
とよくなります。
「花の後も変わらぬ姿立葵」とするといいでしょう。
「とびとびに座る法事や梅雨晴れ間」 関本朗子
新型コロナウイルスの影響でしょうか、間を開けて座っている。その様子が窺えて、
とでもいいのですが、下五の季語がそれにふさわしくありません。そこで、
「とびとびに座る法事や夏座敷」としてみてはいかがでしょうか。
今回、太田酔子さんから投稿をいただきました。みなさまも、感銘を受けた句に
出会った時、難解句をこんなふうに読み解いた、とか、こんな読み方もできるので
は、など、綴ってみてください。
「無常鳥ロミオなんぞは居りませぬ」 神宮前小梅
無常鳥とはホトトギスの異称だそうである。托卵の習性のあるホトトギスに何故
このようないわくありげな名をつけたものか。歌に詠まれ伝説の主となり、さらに
冥土とこの世を行き来する鳥とも。
この作者は実にうまい異称を見つけたものである。さて、ロミオとは言わずもが
なの、ジュリエットと行き違いに死んでしまうヴェローナの名家の若者。二人とも
死んでしまうがゆえに悲劇のカタルシスが成就する。ロミオが居なくては悲劇にな
らない。ロミオなんぞは居らぬ、と言っているのは無常鳥か、作者か。現代には感
情を浄化してくれる悲劇は不在なのだ。そう考えればこの句は見事に現代を捉えて
いる。
「マスクして季語崩壊の炎天下」 有馬英子
冬のマスクを炎天下に着けるこの頃の世相を俳人らしく「季語崩壊」で両断した。
季語は記紀・万葉の時代から日本の風土であればこそ日本人の感性によって創り上
げられた美の集大成と言える。俳人のみならず日本人にとって宝のようなもの。そ
れが崩壊するとなるとコロナ禍と言ってはいられない。コロナ後の世界について識
者が評しているように、コロナ後の俳句、コロナ後の季語について語りたい作者の
顔が浮かぶ。
「キリストの素足の釘痕からことば」 飛鳥遊子
素足はキリストの存在そのものを象徴する。釘痕とは無論キリストの磔刑による
もの。多くの画家がキリスト磔刑図を描いているが、描かれた手のひらと足の釘痕
はほらのように大きい。そこから出てくるのは血、「人間」イエスの生死を分ける
血であるが、もちろんイエスは復活する。この俳句では釘痕から出てくるのは「こ
とば」である。ヨハネ福音書第1章は「初めに言(ことば)があった。」とはじま
る。そして「‥‥万物は言によって成った。‥‥言の内に命があった。」と続く。
ふと思った。確かに「素足」は夏の季語で問題はない。しかし、句の意味を考え
るとき、この句に季語はいらない、素足は単に素足でいいと思う。俳句において、
季語は絶対的な要件でなくてもいい、あるいは一義的な要件ではない方が句のもつ
感覚にぴったりする場合もあるのではないかと思わせた句である。
photo: A.Tanaka
傘さしてやや屋根裏となるキューリ あざ蓉子