人狼ゲームの構造について | 四角いけれど丸くなりたい

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 人狼ゲームというのは、ボードゲームの一つで、ある村に迷い込んだ狼を村人が駆逐する、という設定の4~18人くらいで遊ぶゲームです。一時期はテレビでも放送されていました。

 議論時間(昼時間)に狼だと思う人を一人だけ全員の投票で殺し、睡眠時間(夜時間)に村の誰か一人が狼に殺される、というターンを繰り返すことで人数が減っていき、その間に狼を駆逐するのが目標です。

 村人の中には特殊な技能を持ったものもいて、1日に一人だけ狼かどうかを判別できる「占い師」など、そのゲーム性を高める役割を果たしています。

 狼の嘘を見破ったり、説得したり、と面白いポイントはいくつかあるのですが、今回は私の考えるその「構造の面白さ」について話したいと思います。

 

狼が〈いる〉衝撃

 人狼ゲームが終わると、しばしばその村に参加した人たちが反省会をします。

 どのように進めればより良かったのか、どのように推理すれば狼に辿り着けたのか、などまた次にゲームをする時の参考にするためです。

 

 こうした反省会は、この人狼ゲームにおいて狼が存在しないことがない、ということによって成立しています。

 当たり前のことかもしれませんが、この〈狼が決まった人数存在する〉という前提が人狼ゲームを面白くしていると私は感じているのです。

 

 どういうことかと言いますと、この人狼ゲームは、〈狼が存在する〉ことから、〈狼がどのように存在しているか(狼が誰なのか)〉を導き出すという構造を持っているのです。いやむしろ、こうした構造を持っているからこそ、実際にゲームが行われなくてもどうしたら良いのか、という理論を話し合うことができるのです。

 

 逆に、狼が何人か分からなかったり、いなかったりすれば、この前提が崩れ、狼が誰なのかを考える理論を科学的に構築することはできなくなると言えるでしょう。このゲームは、〈存在する〉という前提によって、〈どのように存在しているか〉を導き出そうとするゲームなのです。

 

狼を見つけるために(1)

 では、実際にどうやって〈どのように存在しているか〉が導き出されようとしているのでしょうか。

 

 まず、現在一番支持されているのは、場合分けをし、かつ数学の論理を用いて狼を特定しようとする方法だと言えるでしょう。

 

 例えば、「三人の占い師の内訳が真狂狼であるという仮定の時に、どのような順番で吊っていくと最終日に絶対にいける」という考察は、数学のもつ揺るぎない論理性を用いるために、その仮定を作ったのだと考えることもできます。

 

 この絶対的な論理性をもつ数学の考察は、その客観性が担保されていて受け入れられやすい、という意味においても、支持される方法だと言えます。

 

 しかし、この方法にも弱点はあります。

 それは、仮定の不確かさが残ってしまう、という点です。

 現在は、「村人」が役職のふりをするのを禁止する村も多く、その「不確かさ」の範囲は狭まっていますが、そうであっても、様々な仮定内の可能性を全て網羅できる数学的論理が構築され得るのかと言えば、ゲームの性質上、おそらく無理なのではないでしょうか。

 

狼を見つけるために(2)

 では、他の方法があるのかと言えば、「センサー」といわれるような個人的な判断による方法があります。

 

 これは、論理性を構築しづらく、さらに客観性も担保され辛い、という大きな欠点を抱えていますが、それらが全くできないものではありません。例えば心理学など、「人間」そのものに関わる学問がある以上、「センサー」を科学的に働かせることができない、とは言えないからです。

 

 しかし、そもそも学問もそこまで進んでいない上に、それを共通認識にすることも難しいので、現時点でそれを行うためには、人に共感されやすい「個人的な判断」を述べるしかないと言えるでしょう。

 

 人狼ゲームで「センサー」の理論的な発展がこれから行われるのか、今後も興味のあるところです。

 

〈ある〉から〈いかにあるか〉を模索する

 さて、これら両者は広い意味で科学的に狼を導き出そうとする営みであると言えます。

 

 これらの両者が今後どのように絡み合って精度を上げるのか、もしくは他に方法が考え出されるのか、私には検討もつかないのですが、これまでの常識にとらわれず、様々な方法が模索されることを望んでいます。

 

 なぜなら、この人狼ゲームの構造は、より一般化されたモデルともなり得ると考えているからです。

 

 人狼ゲームの考察は、究極的には、ある特定の定理〈狼が存在する〉から、必然的な射程〈狼がどのように存在しているか〉を、絶対的でなおかつ条件なしに導き出されることが目指されていると言えます。

 そうであるならば、そうした難題に人の「知」がどのような方法で解決しようとするのか、(今は現実世界と同じく数学論理が強いと思いますが。)さらには、〈ある〉から〈いかにあるか〉は導き出せるものなのか、というのはとても興味が湧く問題なのです。

 

 果たして、現実の世界では、「なぜ〈ある〉のか」という問いが前提にあるせいで、純粋に〈ある〉から〈いかにあるか〉を導き出そうとする議論をすること自体かなり難しいことになっていると言えます。

 

 そうした〈ある〉に惑わされない「知」の展開のモデルとして、今までの常識にとらわれない考察が出され、それが他者によって吟味されるようになることを私は心密かに願っているのです。