禅とは? (食事のお供に)

 

 禅は宗教、仏教の中で深化し、進化してきましたが、哲学や思考方法と認識した方が捉えやすいかもしれません。

 

 したがって欧米ではマインドフルネスという訳され方もされ、近年では日本に逆輸入の形で支持されるようになってきました。しかし、マインドフルネスと禅はやはりかなりの差異があるのも確かです。(禅に傾倒していたスティーブ・ジョブズ氏の写真展を、ご縁から三光院で開催する計画も進行中です)

 

 日本において臨済禅は、主に武士階級に支持されてきました。鍛錬と実践を前提とする禅の価値観は、死と日常的に向き合う者たちにとって必要不可欠なことだったのでしょう。

 

 今日においては、偶像崇拝を必要としないことも、自身の宗教を既に確立している多くの人にも受け入れやすい原因になっていると思われます。

 

 さて、一口に禅と言っても、その実践方法には様々な種類が存在します。一般的に知られているのが座禅です。その他、立禅、歩行禅に加えて寝禅なんてものもあります。いずれも禅と向き合う形式を決めた上で、特別な時間を作って向き合うことになります。

 

 一方で三光院で重視しているのは、作務禅であり、食禅と呼ばれるものです。作務とは生活していく上で必要とされる全ての作業を指します。掃除、洗濯は基本として、生産や買い物から社交まで、その捉える範囲は個人により異なります。

 

 また食禅とは文字通りの食事を通して行う禅です。調理する、食事する、を基本として、栽培から後片付けまで、やはり捉える範囲は個人に委ねられます。

 

 ただ作務食両禅において共通していることは、特別な時間を作って向き合うのではなく、日常生活の中で向き合うということです。

 

 では禅とは何と向き合う行為なのか。神様や仏様ではありません。己、自分自身と向き合うのです。仏様の教えや先人たちの知恵に助けられることはあっても、実践するのはあくまで自分自身なのです。

 

 その過程でよく誤解されるのが禅問答です。師弟の間で課題が共有され、共にその答えを模索する修行方法です。傍目からは非常に難解に映るので、答えがないのが禅問答などと解説されることがありますが、答えはちゃんと存在します。

 

 しかし、その答えは個人により異なります。また、個人の答えも時間や状況によって違っていきます。したがって絶対的な答えになど易々と辿り着けるはずがない、とするのが禅の根底にあります。正解がない、絶対解は存在しない、けど、答えはある、です。

 

 残念ながら現代日本においては仏教も禅も恵まれた家業商売の一業態となっている部分が多く、修行方法も資格取得も学校同様で形式的になって久しいのが現状です。

 禅問答にも参考書があって解答が明示されていますし、檀家や観光客に見せる禅問答には台本まで存在したりします。

 

 これらは、師匠が真理を知っており、弟子はその師匠が望む答えに辿り着くことが正解だとの価値観から発しています。しかし真の禅問答では、師匠も弟子を通して己自身を探求するのです。

 

 他者のことまで全てを理解出来ているのなら、その人を悟者と言っても過言ではないでしょう。悟った者とはすなわち仏様です。

 

 仏様でもない人間が、他者のことを全て理解し、深刻な悩みを簡単に解決できると称しているのなら、おそらく詐欺師の可能性が高いので、皆さん気をつけましょう。騙されないためにも、禅を通して自分自身と向き合ってみてください。

 

 自分が自身がと繰り返すと、自己承認欲求を満たす思考方法かと勘繰られてしまいそうですが、もちろんそうではありません。他者を判断し、他者とどう付き合うかも、結局は自分がすることです。謙虚に自分の行動を振り返る自省の機会にもなるはずです。

 

 人は見た目が九割との言葉も定着しました。それほど弱者大衆凡夫は見た目に惑わされます。禅は姿格好を選びません。どうせ鍛錬をするのでしたら、他者を自分がどう判断しているかも見つめてみてください。

 

 過去の経歴、周囲の噂、姿格好、物腰、これらから自分が他者に対して判断できることなんてあるのでしょうか?

 

 目の前の人は今現在どういう行動を続け、どういう結果を招いているかだけを見つめたことはあるでしょうか?

 

 何を基準に他者を見るかも、自分の選択なのです。

 

 自分と向き合うことで最終的に目指すのが悟りの境地です。では悟りとは何か?これには答えがありません。少なくとも共通解は知り得ません。

 

 禅の教えを通して少しだけ分かっていることは、個々人によって辿り着き方も、悟り方も異なること。加えてその悟りは言葉や文字を通して他者と共有できないことなので、自分が実践することで、自身が体感する以外に術がないということだけです。

 

 さて、禅に少しは興味を持てたでしょうか?星野菊久子三光院幼稚園園長が、剃髪して星野香栄禅尼となった末に、禅僧としての生涯主題を「食」と定めました。

 

「食禅食悟」極簡単に訳せば食で悟れ、となります。

 

 これから召し上がっていただく精進料理は、660年の竹之御所伝統を継承した上で、香栄禅尼が完成させた竹之御所流三光院精進料理です。単なる美味しい野菜料理ではなく、全ての献立には禅的思想が注がれています。

 

 何を感じ取っていただけるでしょうか。一々の解説はあえてしておりません。サービスレストランではないからです。どう判断されるのもご自由です。答えはこちらも持ち合わせておりません。良い体験だったと感じていただけたなら、食禅として幸いです。かしこ。

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