井波町は彫刻の町 | 面白いもの「紹介・SHOUKAI」

面白いもの「紹介・SHOUKAI」

まったくの独断と偏見なので客観性はありません・・・・・・・。

井波町は彫刻の町



井波町は人口8000人。

2004年に井波町を含めた8自治体が合併して南砺市が誕生。


中世の時代に、北陸の浄土真宗の拠点として栄え、それは門前町というレベルではなく、
巨大宗教王国で、上杉謙信や織田信長に対抗するレベル。

1581年には、信長配下の武将佐々成政によって3000軒が全焼し壊滅

1594年ごろから、前田家の保護で、大工のまちとして復興し、さらに前田家の文化政策で、彫刻の町として発展したという。


井波彫刻は全国的に有名で、2018年には日本遺産に認定。


父方のルーツはこの周辺のどこかで、200年ほど前に、栃木県佐野市に滞在し、さらに進んで、茨城県結城市に移り住んだらしい。

ただ、もっと狭い範囲での特定の村とかは調査できないのが残念。

農村の分家の仕方が、ちょっと「散居村」風なのが、砺波地方の文化を受け継いでいるくらい。
彫刻文化との関係も、記憶にないかな。


井波町史の本を読んでみると、「天明・天保の大飢饉で76人の走り人が出た」という記載があるものの、それも、少し気になるところ。

ちなみに「走り人」とは、農村を放棄してアウトローになってしまうこと。



井波の歴史   https://konishi-hudousan.com/井波の歴史/