1950年後半北京、上海、南京、成都に科学的な中医学の教育として中医学院ができる。
引き続き、その研究機関として中医研究院が作られる。
科学の洗礼を受けた伝統医学が誕生する。
現代中医学である。
5年ごとに教科書の編纂が行われる。
もっとも必要と思われる基礎額の教科書は第3版改訂期に初めて登場する。
では基礎教育はどうしていたか?
そんなものはない。
聖典や各家の学説をやれば基礎ができるという感じである。
するとやはり封建主義だといわれてしまう、文革のときだったと思う。
この社会の動乱が基礎としての枠組みが必要だった人達を勢いづかせる。
苦肉の策か好機到来かはよそ様のことでわからない。
この教科書を下地に作られたのが今の鍼灸学校の指定教科書「東洋医学概論」である。
現在、気の作用は6つと定義する。これも数十年の議論の末である。
第3回改正期、中医基礎が初めて登場したときは5つである。
営気を気と考えれば気に営養作用があり、血の仲間と考えれば気が温煦、防衛、推動、気化、固摂の5つとなる。
私のときは漢方概論といった。
古方、後世、経絡治療、沢田流など当時の湯液・鍼灸の名だたる流派がページを分け合いひとつになっていた。
恐るべし難解な教科書。
標準化という意識はまるでない。
今の学生はその意味では幸せなのである。