安倍晋三首相の真珠湾訪問で暴かれる「日本だった韓国」と「逃げ回った中国共産党」 「抗日戦勝利」4 | 産経新聞を応援する会

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中国が主張する九段線の内側は南シナ海(358万平方キロ)の9割近くを占める。「屈辱の百年」で自国の領土さえ満足に統治できなかった支那が、大洋を支配していたとは、よほど強大な海軍力を有していたのだろうか。アヘン戦争中、清国軍のジャンク船が英海軍艦に吹き飛ばされるシーンを描いた絵は余りに有名だが、小欄の幻覚だったようだ。

 2014年9月、習氏は「抗日戦争勝利記念日」にあたり、共産党・政府・軍の幹部を前に重要講話を行った。

 「偉大な勝利は永遠に中華民族史と人類の平和史に刻まれる」

 頭が混乱した小欄はインターネット上で、東京湾に投錨した米戦艦ミズーリの上甲板において、1945(昭和20)年9月に撮られた写真を探していた。大日本帝国政府全権・重光葵外相らが、降伏文書署名に使った机の向こうに、連合軍将星がズラリと並ぶ一枚を思い出したためだ。米国▽英国▽ソ連▽豪州▽カナダ▽フランス▽オランダ▽ニュージーランドに混じり、中華民国(国民党)軍の軍服は確認したが、共産党系軍人は見い出せなかった。

 そのはずで、地球上に中華人民共和国なる厄介な国が現れるのは降伏調印後、中国大陸を舞台に国民党と共産党の内戦が始まり、共産党が勝って国民党を台湾に潰走させた前後。降伏調印後4年以上もたっていた。

 1937年に勃発した支那事変が大東亜戦争へと拡大する中、精強な帝国陸海軍と戦ったのは専ら国民党軍で、国共内戦時に国民党軍の損害は既に甚大であった。これが共産党系軍勝利の背景だ。

避戦に徹した共産党軍

 

 支那事変~大東亜戦争中、共産党系軍は一部が遊撃(ゲリラ)戦に臨んだが、帝国陸海軍と国民党軍の戦闘を可能な限り傍観し、戦力温存に専心。同じく帝国陸海軍から逃げ回った国民党軍の「退嬰的戦法」をはるかに凌駕した。

 実際、初代国家主席・毛沢東は「力の7割は共産党支配地域拡大、2割は妥協、1割が抗日戦」と指導。帝国陸軍が中華民国の首都・南京を陥落(1937年)させると、祝杯の大酒を仰いでいる。

 従って「偉大な勝利」は有り得ない。「永遠に中華民族史と人類の平和史に刻まれる」べきは、非戦ならぬ徹底した「避戦」であった。

 「避戦」は、毛が練り上げた《持久戦論》の重要要素だった。が、持久戦論は図らずも、共産党系軍が最後まで日本に勝てなかった動かぬ証拠を歴史に刻んでしまう。持久戦論は以下の前提に立つ。

 《日本は軍事・経済力ともに東洋一で速戦速勝できない。だが、日本は国土が小さく、人口も少なく、資源も乏しい。寡兵をもって、広大な中国で大兵力に挑んでいる。一部の大都市/幹線道路を占領しうるに過ぎず、長期戦には耐えられぬ。敵後方で遊撃戦を展開し、内部崩壊を促せば、最後に勝利する》

持久戦論によると、戦争は3つの段階を踏む。

 (1)敵の進攻⇔自軍の防御(1937~38年)

 (2)彼我の対峙 敵の守勢⇔自軍の反攻準備期間(1938~43年)

 (3)自軍の反攻⇒敵の退却⇒殲滅(1943~45年)

 ところが、(3)段階の頃、帝国陸軍は50万の兵力で対中戦争最大の作戦《大陸打通作戦》を実行し、戦略目的達成はともかく、作戦通りの地域を占領した。結局、支那派遣軍は終戦時点でも100万以上の兵力を有し、極めて優勢だった。第二次世界大戦におけるわが国の戦死者240万の内、中国戦線での戦死は46万人。日本敗北は毛が主唱する遊撃戦の戦果ではない。米軍の原爆を含む圧倒的軍事力がもたらしたのである。

 ところで、安倍首相の真珠湾訪問を前にバラク・オバマ米大統領は声明を出した。

 「最も激しく戦った敵同士が最も緊密な同盟国になれる」

 「戦っていない」中韓両国とはお友達になれないとの理屈になるが、「戦っていた」としてもお友達にはなれそうにない。