南京大虐殺は嘘だと蒋介石が認めていた。日本の国会議員はしっかりすべきだ! | 産経新聞を応援する会

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ユネスコ「南京大虐殺文書」の世界遺産登録、取り消しを求めます。
国連教育科学文化機関(ユネスコ)は109日(日本時間10日未明)、中国が登録申請していた「南京大虐殺文書」を記憶遺産に登録した、とのことですが、そもそも「南京大虐殺」などなかったのです。
日本を貶めるため中国が捏造した事件を公平中立な世界機関が取り上げ、しかも中国の言い分をそのまま受理し、世界遺産登録まで行うとは非道極まりない行為である。(change.org
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松井石根大将(A級戦犯の汚名を着せられて処刑された)
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ユネスコ「南京大虐殺文書」の世界遺産登録、取り消しを求めます。
国連教育科学文化機関(ユネスコ)は10月9日(日本時間10日未明)、中国が登録申請していた「南京大虐殺文書」を記憶遺産に登録した、とのことですが、そもそも「南京大虐殺」などなかったのです。
日本を貶めるため中国が捏造した事件を公平中立な世界機関が取り上げ、しかも中国の言い分をそのまま受理し、世界遺産登録まで行うとは非道極まりない行為である。(change.org)
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ユネスコの「南京大虐殺文書」世界記憶遺産登録に対して、その後、日本政府は何かしているのか? 安倍政権も外務省任せではダメでしょう。
 
自民党は「歴史を学び未来を考える本部」を総裁直属の勉強会として発足させました。その本部長は谷垣幹事長で、アドバイザーは山内昌之明治大特任教授、オブザーバーに社会学者・古市憲寿です。
 
このリベラリストをオブザーバーにしていますがジョークでしょうか?
歴史を学ぶことは否定はしません。国会議員の歴史認識がひどいからです。
 
しかし、本来そういうことは国会議員になる前に勉強しておくべきことであり、日本の国会議員は靖国参拝とともに歴史観・国家観のない人間は議員になるべきではないのです。ここがしっかりしていないからシナや韓国や反日左翼にまともに反論もできない議員が多いのです。
 
先日(12月11日)、新しい歴史教科書をつくる会が「通州事件」のユネスコ登録を目指して文科大臣に要望書を提出しました。こういう発想すら国会議員にはないのです。大体、これに賛同して声を挙げた国会議員はどれほどいたのか。
 
日本人が虐殺・強姦などの被害に遭った事件はたくさんあります。通州事件の他「済南事件」「尼港事件」「葛根廟事件」「敦化事件」「小山克事件」「通化事件」「麻山事件」「牡丹江事件」・・・などなど。
 
東京大空襲もあれは大空襲ではなく「東京大虐殺」なのです。言葉に誤魔化されてはいけません。国際法違反の原爆投下も「原爆実験大虐殺」だったのです。シナ人、朝鮮人、ロシア人、アメリカ人、イギリス人、オランダ人、・・。
 
彼らは国連(戦勝国連合)で正義ツラしていますが、彼らが如何に残虐であるのか。こういう真実こそ人々の記憶に永く留めておくべきであり、彼らの本性を知っておくべきなのです。
 
もちろん、今すぐこれらの国々を敵にすると世界を敵にするようなものになりますから現実的には出来ませんが、少なくともシナ・朝鮮の捏造には屈してはいけません。
 
また、チベットやウィグルやモンゴルはシナの民族浄化や大虐殺、ベトナムは韓国のライタイハンこそ記憶遺産にすべきです。
 
最後に南京での歴史の真実を記しておきます。
当時、南京戦の軍司令官は松井石根大将です。
 
松井大将が南京戦に向かう途中でこのようなことがありました。日本軍の戦死体は埋葬されて、戦場清掃を済ませていた時、それを見た松井大将は二人の参謀を呼びつけて「日本兵の死体だけを片付けて、支那兵の戦死体を放置したままにするとは何ごとか」と叱りつけて、敵であっても同じく扱うように指示しました。
 
また、南京戦の後、松井大将が上海に戻った時、小学生の書いた慰問書を手にして先生が内地(日本)からやって来ました。内地では南京陥落に小学生も日の丸を振って喜んでいました。慰問文には「憎い支那をやっつけてください」と書いてありました。それを読んだ松井大将は「このようなことを小学生に書かせるとは」と、慰問文を持ってきた先生を叱りつけました。・・・
 
昭和41年、松井大将の秘書だった田中正明氏は岸首相と台湾に行った時、このように語りました。
 
蒋介石は80歳。私は蒋介石に敬礼してから「私はかつて閣下にお目にかかったことがございます」と申し上げた。
「いつか」と聞かれるので「昭和11年3月、松井石根閣下にお伴して、南京で」と申し上げた。松井大将の名を聞くや、蒋介石の顔色が見る見る変わった。
 
ふるえ声で「松井閣下には、申し訳なきことを致しました」と私の手を堅く握りしめて、むせぶように言われ、眼を赤くして涙ぐまれた。私は驚いた。一同も蒋介石のこの異様な態度に驚いた。
 
周知の通り南京戦の直後、蒋介石は漢口にいて、しきりに対日抗戦の声明文を発表したが、虐殺事件など一言も触れていない。南京の何応欽軍司令官の「軍事報告書」の中にも虐殺は一行もない。
 
それを東京裁判は松井大将の責任で20万余を虐殺したと判決して絞首刑に処したのである。
 
あれほど支那を愛し、孫文の革命を助け、孫文の大アジア主義の思想を遵奉したばかりか、留学生当時から蒋介石を庇護して、面倒を見て下さった松井閣下に対して、何ら報いることも出来ず、ありもせぬ「南京虐殺」の冤罪で刑死させた。
 
蒋介石は悔恨の情が、いちどに吹きあげたものと思われる。
蒋介石は私の手を2度、3度強く握って離さず、目を真っ赤にして顔を伏せた。蒋介石は88歳でこの世を去るまで、松井大将の冥福を祈った