東條英機 ナチスドイツに「当然なる人道上の配慮によって行われたもの」として一蹴 | 産経新聞を応援する会

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映画「杉原千畝」が公開 ユダヤ人を救ったのは杉原だけではない


Wikipediaより

 

映画「杉原千畝 スギハラチウネ」が、12月5日公開となる。

 

第二次大戦中、6000人とも言われるユダヤ難民をナチス・ドイツの迫害から救った実在の日本の外交官・杉原千畝の半生を描いたもの。主演の杉原役に唐沢寿明、その妻幸子役に小雪という豪華キャストに加え、脇を固める俳優陣も実力派揃いで、撮影もポーランドでのオールロケという完成度の高い作品になっている。

 

国に背き、家族を危険にさらしてまでユダヤ人にビザを発給し続け、たくさんの命を救ったことで世界を変えた――というヒーロー物語だが、これには「ちょっと待った!」と言いたい。

 

 

国に背いたら処罰されるはずだが……?

まず、国に背いてビザを発給したら、外務省の職員である杉原は何らかの処分を受けるはずだが、そうした記録はない。杉原がリトアニア領事館領事代理としてビザを発給したのは1940年のことだが、その後もヨーロッパ各国の公使館に勤務し、1944年には、勲五等瑞宝章を受章している。終戦は1945年だから、戦中に評価されているのだ。

 

映画では、まるで杉原が国にとって都合が悪いことをしたために外務省を追われたように描かれているが、終戦後の1946年には、外務省だけではなく行政組織全体でリストラが行われており、当時の外務省職員の3分の1が退職した。杉原に退職金や年金も支給されていることからも、普通の退職だったことがわかる。

 

 

「ユダヤ民族の恩人」として名を刻む日本軍人

そもそも日本は国家としてユダヤ人を保護する方針をとっていた。

 

杉原がビザ発給でユダヤ人を救うよりも2年前の1938年、ナチス・ドイツの迫害から逃れた大量のユダヤ難民が、シベリア鉄道に乗って満州国の北東のすぐソ連側に位置するオトポールに到着した。ソ連は彼らの受け入れを拒んだので、ユダヤ人たちは満州国への入国を強く望んでいた。ユダヤ人たちは連日到着し、2万人近くに達したともいわれている(人数については諸説ある)。

 

このときの満州国は日本の国防の最前線。そこで任務にあたっていた関東軍の特務機関の機関長、樋口季一郎少将(当時)は、ユダヤ人たちを受け入れ、彼らを救った。樋口は、この功績によって、ユダヤ人が「ユダヤ民族の恩人」の名を刻む「ゴールデン・ブック」に、樋口と同じ特務機関にいたユダヤ人問題専門家の安江仙弘(のりひろ)大佐とともにその名を記載されている。

 

 

ユダヤ人を救い、ドイツの抗議をつっぱねた東條英機

樋口はこの件について、軍人として当然のことながら関東軍の司令部にユダヤ難民の入国の許可を求めている。このとき許可を出したのが、関東軍の参謀長だった東條英機中将(当時)だ。この東條参謀長は、開戦時の総理大臣であり、戦後、戦犯として処刑され、アメリカなどからドイツのヒトラーと同一視されている東條英機のことだ。

 

しかも東條は、この件についてのドイツ外務省の強硬な抗議に対して、「当然なる人道上の配慮によって行われたもの」として一蹴している。もし東條参謀長が許可しなければ、ユダヤ難民は3月の凍てつくシベリアの荒野で足止めされ、死者も出ていただろう。ヒトラーとは大違いだ。

 

 

日本は国家としてユダヤ人を保護した

同じ年の12月、日本政府は正式にユダヤ人の保護を表明している。五相会議(首相、陸相、海相、外相、蔵相の会議)で決定した「ユダヤ人対策要綱」には、「ユダヤ人に対しては他国人と同様公正に取扱い、之を特別に排斥するか如き処置に出づること無し」と書かれている。

 

杉原千畝は確かに優秀な外交官であり、多くの命を救った。しかし、ユダヤ人を救ったのは杉原だけではなかったのだ。映画は、真実の物語としてではなく、実在の人物をモデルにしたヒーロー物語として楽しむことをおすすめしたい。(大塚紘子)