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結局、人も組織も国も団体も、そして経済さえも、結局は「志(こころざし)」なのです。
「志」という漢字は、よく「士(さむらい)」の「心」という意味だと説く人がいますが、違います。
「士」の部分は、もとの字は「之」で、これは「行く」という意味の漢字です。
ですから「志」という漢字は、実は「行動する心」を意味します。

支那語で「si」と読むこの漢字に、古代の日本人は「こころざし」という大和言葉を充てました。
「こころざし」は、文字通り「心の指し示す道」を意味します。
夢と違って、志には、そこに具体化しようとする意志があります。

ですからいまでは学校で先生が子どもたちに、「将来の夢はなんですか?」と聞きますが、昔は「君の将来の志は何ですか?」と問いかけました。
将来の「夢」なら、「お医者さんになりたい」でも通ります。それが実現しなくても、別にどうということはない。なぜなら、ただの夢だからです。夢ははかないものです。目が覚めたら消えてしまう。

けれども「志(こころざし)」ですと、そうはいきません。
「お医者さんになりたい」というのなら、ただ医者になるということではなくて、医療を通じてその子が何をしたいのかが問題になります。
そしてそのことを子どもたちが考えるということは、お医者さんを志すなら志すで、それを実現するための具体的行動が必要になります。
なぜなら「志」は、「行動する心」という字だからです。

戦前戦中まで、日本の社会では、若者たちは「志」を持つということが、あたりまえでした。
地方から東京に上京するに際しても、それは「青雲の志」を実現しようとする、そこに明確な意志があったのです。
そしてその志は、自分の命をかけるにふさわしいものと、若者たちに認識されました。
それが「覚悟」でした。

そしてその「覚悟」は、天皇の「おおみたから」である民衆を守るためのものと認識されました。
ひとりひとりの力は弱いかもしれない。
けれど「覚悟」を抱いた集団は強い。
なぜなら「覚悟」は「責任感」だからです。

昨今、テレビなどを観ていて、「覚悟を胸に抱いた日本人」を見かけることは少なくなりました。
けれど、ひとついえることは、日本では「覚悟」を抱いた「志」ある人は、強くて腰が低くて優しいということです。
諸外国と異なり、日本人で日本の心に目覚めた人は、人物ができてくるほど、腰が低くなります。

日本の心を取り戻していく。
それは、まだまだ先の長い戦いです。
自分自身、もういちど小学校に帰った気持ちで、謙虚に日本を学んでいきたいと思います。