すでに銃殺された後だろうか。
うつぶせになった男性が、カメラの方に目を向けている。
穴の中に見えるのは、銃殺された人たちのようだ。
この写真は、虐殺現場に立ち会ったアメリカ軍が撮影したもので、アメリカの国立公文書館に保管されていた。
各地の処刑現場からは、韓国軍が使っていた銃弾や薬きょうが大量に見つかっている。
このサンチョン郡の遺骨も、いわゆる“アカ狩り”の犠牲者のものである可能性が高い。
真実和解委員会の調査によって、およそ60年の間、闇に閉ざされていた数々の虐殺事件に、ようやく光が当てられようとしている。
韓国・スンチョン市出身のキリスト教牧師、ファン・ジョングォンさん。
虐殺現場から生還した、数少ない一人だ。
ファン・ジョングォンさん
「ここが私の家でした」
ファン・ジョングォンさん
「あそこに門がありますが、当時はこっちにも出入口があって、そこから連行されたんです」
ファン・ジョングォンさん
「そして当時は、こちらの向かい側にも家があったんですが、その家族は4人が殺されました」
自宅から連行された後の惨劇を、ファンさんは今もはっきりと覚えている。
惨劇が起きたのは、ファン・ジョングォンさんが10歳の時だった。
夕食の支度をしていると、銃を構えた軍人がいきなり家にやって来た。
一家は理由も分からないまま、近くにある中学校まで連行された。
ファンさんによると、連行された住民はおよそ30人。
幼い子供もいた。
そして、「止まれ!」という軍人の声が聞こえた直後……。
ファン・ジョングォンさん
「ここにひざまずいた状態で、全員が壁の方に向かって、1列に並ばされました。そして、『銃殺!』という号令で、殺されたのです」
ファンさんは足を撃たれたが、命は助かった。
しかし、両親を含む、家族・親戚の5人を失った。
2歳の甥までが、射殺された。
ファン・ジョングォンさん
「生き残ったのは私だけです。あの時、兵隊の視界に入った人、目に映った人は、みんな殺されました」
“アカ”のレッテルを貼られ、全国各地で虐殺された人たちの中には、ある団体に加入していた人が多かった。
それは、「国民保導連盟」という団体だった。
朝鮮戦争が始まる前、1949年に韓国政府がつくった組織だ。
韓国内にいる共産主義者たちの思想を転向させ、大韓民国への絶対的な支持を誓わせようというのが、設立の趣旨だった。
加入者の反省文
『よく考えもせずに、左翼系列に加わってしまったことを、今では後悔しています。今後は共産軍と闘争し、大韓民国に忠誠を尽くすべく、献身努力いたします』
当時の新聞記事には、共産活動に関わった人が、自首して保導連盟に加入すれば、過去は一切問われないと書かれている。
また、加入者には、就職のあっせんや、食料の配給といった見返りがあった。
農地をただでもらった人もいた。
しかし、北朝鮮軍が38度線を越え、朝鮮戦争が始まると、韓国政府は突然、態度を変える。
過去の罪は問わないと言っていたはずが、保導連盟員を「反乱分子」「スパイ」とみなし、軍や警察を使って、各地で一斉に処刑し始めたのだ。
韓国・キョンサン市。
日本の植民地時代に掘られた、コバルト鉱山の廃坑だ。
中に入ると、急に肌寒くなった。
入り口から150mほど進んだ場所で、遺骨の発掘が行われている。
真実和解委員会から作業を委託された、地元の学生たちだ。
この鉱山で、保導連盟員を含む多くの民間人が虐殺されたという。
小さな遺骨や遺品を見逃さないよう、慎重に掘り続ける。
ヨンナム大学大学院 ソン・ジャンゴンさん
「隠された歴史を明らかにしたい。そんな気持ちを持って、発掘作業を行っています」
坑道の入り口の脇に、発掘された遺骨が保管されている。
頭に銃弾の跡がはっきりと残る遺骨。
刃物で切りつけられたような傷が残るものもある。
犠牲者を縛っていたとみられる電線も見つかった。
この山で何が起きたのか。
真実和解委員会の調査責任者ノ・ヨンソク博士の案内で、山を登った。
山の中腹に、目撃者の証言によって明らかになった重要な現場があるという。
それは、深いタテ穴だった。
真実和解委員会 ノ・ヨンソク氏
「ここは、被害者を8人ずつ縛って、銃殺、もしくは突き落として生き埋めにした場所です」
これは、もともと、地下の坑道で掘ったコバルトを、外に運搬するために掘られた穴だ。
当時の目撃者によると、銃殺された犠牲者たちは、このタテ穴に次々と、落とされた。
その結果、大量の遺体が、坑道の中に溜まった。
この鉱山での犠牲者は、3500人にのぼるとみられている。