日本の合議の伝統を表すものとしてよく取り上げられるのが、主君「押込」(おしこめ)の慣行 | 産経新聞を応援する会

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    『三橋貴明の「新」日本経済新聞』

        

From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学 

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先週の土曜日、大阪の書店で柴山さんとイベントをしました。

http://www.kinokuniya.co.jp/c/store/Grand-Front-Osaka-Store/20140121095000.html

 

柴山さんたちが翻訳なさったダニ・ロドリック『グローバリゼーション・パラドックス』(白水社)の刊行記念イベントでした。

http://www.hakusuisha.co.jp/detail/index.php?pro_id=08276

 

イベントのため、あらためてじっくり読みこんだのですが、この本、ほんとに良い本ですね。

 

一言でいえば、タイトルが表している通り、現在の世界経済のグローバル化を経済学的な観点から批判した本です。

特に、現在のグローバル化は、一国の民主主義と両立しないということが非常に説得力あるかたちで述べられています。

 

ロドリックは、グローバリゼーションを、「節度あるグローバリゼーション」(「浅いグローバリゼーション」)と、「ハイパーグローバリゼーション」(「深いグローバリゼーション」)との二つに分けています。

       

前者の「節度あるグローバリゼーション」とは、ブレトンウッズ体制の影響が残っていた80年代半ばぐらいまでの世界経済のあり方で、各国は、あくまでも国内の政策目標(完全雇用、経済成長、社会的公正、福祉の充実など)に貢献するものとして、貿易などの国際社会とのかかわり方を考えます。つまり、国内経済優先で、国内経済をより良いものとするための手段として国際経済を捉えるのです。

 

他方、90年代ごろからみられるようになった後者の「ハイパーグローバリゼーション」では、実質上、手段と目的が転倒します。国際貿易や国際金融の活性化自体が目的となり、国内の経済運営がその手段になってしまいます。たとえば、近年の日本もそうですが、各国の政治家は、「国際競争力の強化のため必要」とか「グローバル化というバスに乗り遅れるな」などと言って、社会的公正や完全雇用などの国内の政策目標を犠牲にしても、法人税減税や規制緩和などに突き進もうとします。

 

「ハイパーグローバリゼーション」の進展は、一国の民主主義と対立し、各国の一般の人々の生活条件を悪化させます。ロドリックは、ハイパーグローバリゼーションの招く悪しき帰結として、たとえば労働基準の悪化、税制上の不平等(法人税を下げる一方、一般の人々の税負担を重くするなど)、健康や安全にかかわる基準の緩和、産業政策の無力化(WTO違反などとして各国が適切な産業政策をとり、国民経済の成長を目指すことを妨げること)などの例を挙げています。

 

ロドリックは、ハイパーグローバリゼーションの現状を厳しく批判しますが、将来に関してはいくぶん楽観視しているところもあります。

 

というのは、各国の国内経済をボロボロにするような無茶なグローバリゼーションは、結局は、各国の普通の人々の同意を得られず、民主的政治プロセスの激しい抵抗に合い、頓挫するとみるからです。「歴史的経験は、国内のニーズとグローバル経済の要請が衝突する場合、最終的には前者が勝利を収めることを示している」(90頁)と述べています。

 

確かにそうかもしれません。

民主主義の国では、無茶なグローバリゼーションは、結局は、各国の国民の抵抗が根強く、どこかでうまくいかなくなる可能性が高いと、私も思います。

 

ただ、そうなる以前に、外国人労働者が大量に流入したり、格差拡大のため国民の間の連帯意識が損なわれたり、国内の産業構造が歪んだりするなど、社会的土台が崩壊してしまうんじゃないかと懸念もします。

 

日本の場合はどうでしょうか。日本は、政府が少々無茶な政策をとったとしても、国民の我慢強さが幸いして、かなりのところまで渋々ながら受け入れてしまいそうに思います。国民が、やみくもなグローバリゼーションの馬鹿らしさに気づき、反発するまでに、日本社会を支えてきた土台がこれまで以上に壊れてしまわなければいいのですけど…。

(´・ω・`)

 

ただ、楽観できる部分もあると思います。日本社会には、欧米にも勝るとも劣らない合議重視の歴史があり、指導者の専横を許さないところも確固としてあるからです。

 

日本の合議の伝統を表すものとしてよく取り上げられるのが、主君「押込」(おしこめ)の慣行です(参照、笠谷和比古『主君押込の構造───近世大名と家臣団』平凡社選書、1988年)。

 

江戸時代、藩主に悪行・暴政が重なり、これを家臣が諌めても聞き入れられない場合、家臣団が合議のうえ、藩主を強制的に座敷牢などに押込める慣行があったそうです。そして、それでも藩主に反省が見られないときは、隠居させ、もっとましな新藩主を擁立しました。これは、違法なクーデターなどではなく、武家社会における家臣団の正当な行為として広く認識されていました。

 

「押込」の慣行について明らかにした歴史学者の笠谷和比古氏の研究には、いくつかの事例が挙げられています。たとえば、九州の久留米藩の事例です(参照、笠谷『武士道と日本型能力主義』新潮選書、2005年)。

 

久留米藩では、1706年に六代目の藩主に就任した有馬則維(のりふさ)は、急進的な財政改革を推し進めました。

 

たとえば、家臣に対しては、以下のような改革を断行します。

 

・ 身分の低い新進の士を抜擢。

・ 旧来の役人48名を解任。

・ 財政問題に関する従来の家老合議体制を廃止。藩主の直接指導に。

・ 家臣団に対し「地方知行制」(ちかたちぎょうせい)(上級家臣に藩内の村を所領として認める制度)を廃止し、藩の所領はすべて直轄地としてうえで、米をサラリーとして支給する俸禄制に。

 

領民に対しては次のようなことを行ったそうです。

 

・ 新田開発のために必要だとして新税(付加税や労働提供)の賦課。

・ 米以外の収穫物に対する税率の引き上げ(10分の1から3分の1へ)。

 

この久留米藩の有馬の殿様は、「カイカク」「カイカク」と叫ぶ現代の某・首長さんと似たような人物だったのかもしれません。

 

しかし、一連の改革は急進的かつ強引だったため批判が多く、17288月には久留米藩領内で、大規模な農民一揆が生じます。

 

このような状況のもと、家臣団の不満も高まります。そして、久留米藩の家老・稲次正誠(いなつぐ・まささね)を中心とする家臣団は、藩主・則維を押込め、強制的に隠居させ、則維の嫡子の頼僮(よりゆき)を新藩主に擁立し、事態の収拾を図りました。

 

武家社会では、一般のイメージと異なり、上に立つ者の横暴は許されず、合議が重んじられたといえるでしょう。

 

武家社会だけでなく、村や町にも寄合の伝統がありました。下からの合意形成を尊重する伝統の流れは、日本社会に確固として存在していました。

 

ちなみに、笠谷氏が言及している興味深い点に、明治になってからの日本の近代的な官僚制でも、道に反した政治に対しては、たとえ目上の者であってもその誤りを正すのが下の者の務めだと認識されていたということがあります。

 

明治政府の下で官僚制度を運用するための法律であった「官吏服務規律」には、次のような規定がありました(『武士道と日本型能力主義』、240頁)。

 

「官吏は、その職務につき本属長官の命令を遵守すべし。但しその命令に対し、意見を述ることを得」。

 

つまり、明治の官僚制の下でも、上に立つ者の専横な振る舞いを諌め、正すことは、目下の者の正当な行いであり、権利であると一般に認識されていたわけです。

 

「エリート」の独断的な振る舞いを好まず、下からの声に耳を傾け、合議を重んじるのは、日本社会の伝統でしょう。

 

現在、他の先進国でも同様のようですが、日本でも、「グローバリゼーション」「国際競争力の強化」「時代の流れ」「外国人投資家の目」などの陳腐な言葉で、国内の民主主義を抑え込もうとする傾向があります。

 

保守政党を自認する自民党には、TPP交渉も一つの山場を迎えているようですし、下からの合議を重んじる日本の伝統をよく認識してもらいたいですね。「エリート」が先走っても、混乱を招くだけで結局はうまくいかないのが日本社会の伝統であることを忘れずに。

(`・ω・´)

 

相変わらずながながと失礼しますた<m(__)m>

 

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