昭和天皇の御聖徳「荒天下の分列式」(木下道雄元侍従次長)5 | 産経新聞を応援する会

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それから一時間と二十分、

私達は玉座の後方にいたが、

寒さが身にしみて胴ぶるいが止まらない。

足をやたらに踏んで、かろうじて堪えていたが、

陛下は、高い台の上にお立ちになり、

御前を通過する各集団の敬礼に、

挙手の礼を賜わる外、微動だもなさらない


式のすんだ後で、夕刻、私は陛下に、

なぜ、あのときマントをお脱ぎすて遊ばされたかと

お尋ねしたところ、

皆が着ておらぬから

とのお言葉であった。

もし雨が降ったならば、参加者一同に雨具を着用させ、

御自身も着るおつもりであったのに、

台の階段をおのぼりになる瞬間、

捧げ銃をしている一同が

雨具をつけておらぬことがお眼にとまり、

それならば自分も、と台の上から

マントをお脱ぎ捨てになったのであろう。


玉座の天幕が撤去されたと聞けば

青年たちは大雨の中で雨具をぬいでしまう

青年たちが雨具をつけていないのをごらんになれば

こんどは、陛下がマントを捨てておしまいになる


これはみな寒い雨風の中で、

連鎖反応的に起った出来事であった。

何という心あたたかい上下の感応であろうか。


国民と共に同難共苦の、陛下の御覚悟

このとき私は如実に見せていただいたような気がした。


さて、式は女子集団七千名の奉祝歌奉唱で、

めでたく終了し、陛下は場内全員の熱誠な奉送裡に、

再び自動車で皇居にお帰りになったが、

私は万感胸に満ちあふれて、暫しが程、

玉座のもとを立ち去りかねていた。


そうしたら、またいろいろな人が私のところに来られ、

どうか玉座の跡を拝見させてくれといって、

何やらうなずいては帰ってゆかれる。

私は何のことかさっぱり判らなかったが、

翌日になって、二荒伯爵が侍従職に来られ、私に、

昨日分列式のときに、玉座にしいてあった絨毯を、

同伯の主宰する日本少年団連盟にいただきたいとの

申入れがあった。

少年団のたくさんの諸君には、昨日、

式の伝令その他雑用に働いてもらっていたので、

記念としていただきたいという訳だ。


私はどうも話が判らないので、伯爵に実は昨日も

沢山の人が、式後玉座を拝見にきては

何やら合点して帰っていったが、

一体玉座に何かあったのですか、とお尋ねしたところ、

伯爵のいわれるには、

それは君は玉座の下にいたから

何も気がつかなかったのだ。

遠くから拝見していると、陛下はあの寒い風の吹くときに、

長い間高い台の上に立たれ、さぞさぞお寒かったろうに

挙手の礼以外、お足一つ動かされなかった

感心して、式のすんだ後、玉座のところに行って見ると、

台上に敷いてあった絨毯に、

砂のついたお靴の痕が

少しも乱れず六十度の角度で

キチンと残されている

これには、皆、驚いたのだ。

この感嘆すべきお靴の痕を後々までの記念として、

何か薬で絨毯に固定し、この光栄ある荒天下の分列式に

奉仕した少年たちのために保存したい。とのことであった。


そういう訳だったのかと早速私は昨日使用された絨毯を

調べてみたら、これはもうブラシがかけられていたので、

二人で非常に残念がった事であった。

私は、自分の不注意で、当日の立派な記念物を、

一つ無にしたことをまことに相すまぬことだと思っている。

当日の夜、一府四県の知事その他の関係者

二百名ばかりが集って、祝賀兼慰労会が催されたが、

席上、河井(弥八)侍従次長から、午前中、

陛下と一木大臣との間に、天幕の件に関し、

いろいろお話合いのあったその内容を披露されるに及び、

一同の感激は最高潮に達し、朝来、憎しと思った雨に、

感謝しないものは一人もいなかったであろう。