「解同」タブーが打ち破られつつある!  日本共産党大阪市会議員団 下田 敏人 | 産経新聞を応援する会

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大阪市・八尾市 やはり闇は奥深い





「国民融合をめざす部落問題全国会議」発行  http://yhx0303.cocolog-nifty.com/blog/  より転載


「国民融合通信」07年1月号



    関西事務所FAX (075)781-0846


 今、「解同」タブーが打ち破られつつある!
 日本共産党大阪市会議員団 下田 敏人

 一九八九年の同特法施行以来、大阪市の同和事業には、二〇〇一年度末までの二十数年間の間に、一兆二、〇〇〇億円もの巨費が投じられてまいりました。同和行政の目的である格差の是正が基本的には達成された以降も、延々と同和事業が続けられてきました。しかも一般地域とかけはなれて立派な施設が次々と建設されてきました。そして、必要もないのに部落解放同盟(『解同』)の要求にもとづいて、どんどん土地を買いあさり、いま事業に使っていない土地が二〇八ヶ所、一三へクタールに及んでいます。まさに「解同」一部幹部の利権あさりの手段になってきました。
 こうしたなかで昨年暮れあたりから、芦原病院の経営破たん問題、あるいは「解同」飛鳥支部の「小西問題」が表面化してきました。小西邦彦はこの五月に逮捕されたわけですが、こういう問題を通じてあらためて、大阪市の同和行政がいかに「解同」言いなりであり、乱脈極まりないものであったかが、明らかになったわけです。
 私たちはこれまで二十年間、一貫してこの問題を追及してきました。マスコミは、こうした問題は全く報道せず無視し続けてきました。ところがここへ来て、先を争って書き報道するようになって来ました。大阪市当局も深刻な反省、あるいは施策の全面的な見直しを迫られるようになってきました。
 長い間の同和の闇に風火が明けられると共に、ようやくにして同和タブーというものが打ち破られようとしています。私たち民主勢力の三十年来の闘いが、実を結ぼうとしています。私たちはさらに、追及の手を強めて同和行政の完全な終結を目指してまいりたいと思っています。


一、「乱脈同和」の典型-「芦原病院」問題
 そこで、こういう問題のきっかけとなった芦原病院問題というのはどういう問題であったか、かいつまんで報告したいと思います。
 芦原病院というのは浪速区にある民間病院です。事業主体は浪速人権協会であり、運営主体は浪速医療生活協同組合です。いってみれば「解同」そのものの経営になる病院と言っていいとおもいます。「解同」などが一九七〇年に、ともかく同和地区に基幹病院を作れという、同特法にもない全く法外な要求を突きつけました。これを受けて、大阪府・市同和地区医療センターと位置づけたのが、この病院のそもそもの始まりです。
 そして、もともと四九五平米ほどの小さな病院であったものが、大阪市がこの病院の周辺を次々と買収しまして五〇〇〇平米の土地を新たに追加し、これを無償で提供したわけであります。
 そして、新しい病院の建設費や備品購入費、これらを全部大阪市が負担(補助金として)してきました。その後、この三十年間に備品購入費あるいは運営費が足りないということなどで都合一九〇億円の補助金を出してきました。
 それでもまだ経営がどうにもならないということで、別途一三〇億円の貸付金を出してきました。これらは、びた一文も返還されておりませんし、その利子も支払われていません。
 この度私たちが追及した問題は、この補助金のなかに備品費補助というのがあります。これが全く出鱈目だったということについてです。補助金申請にある通りに器具、備品などはただのひとつも買われたことがなかったということです。同時に備品購入補助金というのは、補助申請が出されると、それは「このように買いました」という清算報告が出されるわけですが、これをみな、大阪市当局が作文をしていた。芦原病院はただ、ハンコを押していただけだった。こういうことが明らかになったのです。こういう不正な補助金支出と思われるものは、都合一二〇億円のうち四〇億円にのぼると、私たちは見ています。
 こういうべらぼうな支援の状況のなかで、とうとう芦原病院はどうにもならなくなり、二〇〇六年四月、医療法人弘道会に三億一、〇〇〇万円で身売りすることになったのです。
 これに先立って昨年夏、この病院に掲げられていた荊冠旗が消え、今は浪速生野病院という名前に変えられています。
 大阪市の貸し付けた一三〇億円と二〇〇五年度の補助金八億円あまり、都合一三八億五、五〇〇万円が焦げ付いたわけです。いくら返ってくるのかというと、たったの一、〇一七万円ということなんです。つまり一三八億円まるまる返ってこないということになります。
 市長は、仕方ないと言い、債権放棄をしたい。議会で承認してほしいと言っている。しかし、どだい認めることはできません。
 我々は、「とんでもない」と言って論陣を張りました。与党さしもの、簡単に賛成できないということになり、六月の議会では採決できませんでした。いま継続扱いということになっていて、この(二〇〇六年)十月十三日に採決しなければならないところに来ています。今のところ自民党は賛成できないと言っています。そうしてみると、民主党(『解同』系の議員が四名いて、賛成したいと言っている)と公明党が賛成しても、自民党と共産党で否決ということになります。とすると、市長の提案する議案が戦後はじめて否決ということになります。そういう事態が迫っているのです。市長の責任問題も再浮上することも考えられます。


二、「飛鳥会」問題について
 次に飛鳥会の問題です。
 この問題の中心人物が小西邦彦です。彼は「解同」飛鳥支部長であり、財団法人「飛鳥会」理事長であり、社会福祉法人「ともしび福祉会」理事長でありました。そしてかっては山口組傘下の金田組の幹部でありました。
 これが五月に逮捕されました。きっかけになったのが、西中島の駐車場の上がり(売り上げ)を自分の懐に入れており、これが発覚したことです。新大阪駅の近くの高架下の道路を使って、「飛鳥会」の駐車場とし、べらぼうな利益を上げていたわけです。おそらく三十二年間に、五十億円をくだらないであろうと言われています。
 一九七四年八月にオープンし、その一年後に、先きの市長選に出られた元共産党市議団長の姫野さんが、「九十台と言っているけれども、二〇〇台からの車がとまっているのではないか」、「しかも小西は暴力団関係者ではないか」と言って市議会で追及しました。それ以来、私たち日本共産党は二十三回にわたりこの問題を追及してきました。それでも、彼らは改めようとはしませんでした。
 こうして、大変な金が暴力団に流れ、小西個人の蓄財に回されたわけです。小西は、これ以外にも色々なことに手を出し、個人預金が二十億円からあり、株も所有し豪邸にも住んでいます。
 いま公判が始まっています。そのなかで検察側が明らかにしていることは、三十二年間うち、直前からの十七年間の資料で、その間に小西の個人預金口座に五億一、五〇〇万円が駐車場からの上がりから振り込まれており、長男、妻の口座に九、四八〇万円が振り込まれていたということです。つまり詐欺を働いていたということです。
 ですから三十二年間とすると相当な金になると心います。私たちは、この小西の不当な蓄財、不当なぼろもうけ、これについては当面市民に取り返す、そして市民のために使うべきである、損害賠償させるべきであると主張して、頑張っております。
 市当局は、法的に難しいとか何とか言っております。また国税局が、脱税で調査するといっていることをとらえて、市は国税局がかんでくれたら、市民税もはいるというようなことを言っている状況です。


三、「芦原病院」問題等の全容解明と同和行政の完全な終結をめざして
 こうしたなか、八月二十九日に市長は自ら減給五割六ヶ月の処分を発表し、これまでこの事業を担当してきた中山局長を諭旨免職にするなど、都合一〇五名の処分を行いました。
 ところが芦原病院問題については、私たちは四十億円を返してもらうべきだと言っているのですが、たったの二、二〇〇万円だけ返してもらうと、これは監査委員会が出した報告に基づくと言っています。
 しかもこの二、二〇〇万円は幹部職員、OB職員九十名からカンパで集めて、この返済に充てようとしているのです。芦原病院つまり「解同」から金を収ってこないで、市の職員が金を出して返した。こういうことをして、もう堪忍してくだといと言っています。そして「芦原病意」や「飛鳥会」の問題はもう追及しないでほしいと言っています。こうして幕引きを策しています。
 さらに地対財特法失効以降も続けられていた同和の特別扱い、これは我々の計算では毎年一三〇億円くらいが使われていたと思われますが、これを見直しますと言い出しました。
 確かにそこそこ見直しが始まりました。青少年会館(十二館)は廃止する。そして一般に開放すると言う。人権文化センターについても、いずれは変えていくと言っています。小西の地元の飛鳥、南方、日之出と東淀川区には三つの解放会館がありますが、これをひとつに統合するといっています。
 私たちが画期的だと思っているのは、旧同和市営住宅(『ふれあい人権住宅』)の入居募集を従来その小学校区内くらい範囲で行ってきたのをつまり垣根があったわけですが、それを来年度から取っ払って、「人権住宅」という名前も変えて一般の市営住宅と同じにし、広く大阪市全体から募集すると言い出しています。私たちは、これを大きな前進と受け止めています。
 私たちはこのように不当、不正な点をただし追及しているわけですけれども、「解同」はその利権を温存したいがために、さまざまな巻き返しをしてきています。子どもを使っての署名運動、支部員による運動などで、いままでの人権施策は後退させるなと、キャンペーンをはったりしています。こういうことで、せめぎ合いになっており、市当局も不十分な格好で終らせかねない状況もあります。
 旧同和住宅についても、現在人権協会に一億円を払って管理をさせていますが、これについては、やめるとは言わない。入居に関しては一般募集にはするが、これはやめないというのです。
 旧同和住宅の付帯駐車場には三、三八二台の車が入っています。さらに未利用地のなかで、四・三ヘクタール(小学校四校分くらい)の土地を駐車場にしていまして、八一五台の車をとめています。その約四、二〇〇台の駐車場を人権協会に委託して管理させているのです。各人権協会には合わせて四億四、〇〇〇万円の収入が入りますが、大阪市には五、五〇〇万円しか入れていません。「解同」、人権協会が四億円ほどをとっているわけです。ところがこれをやめるとは言わない。
 さらに委託事業を人権協会に託し、これに二〇四名をあてていますが、大阪市の委託事業だというわけで、何とか配慮して継続したいと言っています。
 こうした動きのなかで、私たちは「芦原病院」問題、「飛鳥会」問題について、これの全容解明は緒についたばかりであると考えています。
 過去二回、百条委員会設置の提案をしましたが、自・公・民などの反対で否決されました。今度、三回目の提案を行います。そして、同和行政の完全終結を求める決議をやろうということで、この二つを提案することを十月五日の各派幹事長会議で発議しました。とくに、この決議については「解同」、人権協会とは手を切れということを打ち出した内容にして、各党に案文を示しているところです。
 市長もようやく、これまで同和を特別扱いしてきたことが部落問題の解決を遅らせてきた、逆行させることになった、と認めるような発言をし始めています。
 ほんとうに重要な段階に来ていると思います。あと一押し、二押しで実を結ぶようになると思っています。人権連、市民のみなさんと力をあわせて、同和行政の完全終結をめざし頑張って行きたいと思います。
 (注)十月十三日の市会本会議で、芦原病院の再建放棄の議案は、全会一致、否決されました。また百条委員会の設置提案・同和行政終結決議(与党は見直し決議)は、与党の多数で否決されました。



 同和行政終結段階での問題と課題
 八尾府の場合(上〉
 八尾市・同和行政終結市民会議 国広悦正

 はじめに
 八尾市では、三十三年間に及ぶ同和行政と地域住民の自立への努力によって、部落問題が大きく解決してきました。昔のような地域格差はありません。
 しかし、丸尾逮捕に見られるように、暴力と洞隅を背景とした部落解放同盟(『解同』)の策動と市幹部の「解同」言いなりの態度によって、同和行政をめぐってさまざまな不正・矛盾・混乱が生み出され、部落問題の解決を防げてきたことも事実です。
 ここではおもに「同和」協力金問題を中心にしながら、その実態と闘いの経過を報告します。
 この問題が起こっているのは、旧安中地域のことですが、大阪府下のなかでも一番混住が進んでおり、もう旧「同和地区」だという形跡は何処にも見当たらないほど、大きく変化しております。
 資料にも書きましたが、・原住者十五・八%、来住者八十四・二%、これは府下全体が七十五%くらいですから、それから見ても約十%混住が進んでいるということになります。・二十年間の来住者五十二・五%ですから、二十年間で住民の半分が入れ替わっているという変化の激しさです。
 十年間で地域の住民白体が十%減少、二十四・七%住民が転入していますが、十%減っているわけですから、差し引き三十四・七%の住民が十年間に流出していることになります。
 府下全体は、約二十五%の流出ですから、それから見ても多いということができます。つまり変化の激しい地域であります。
 もうひとつ強調したいのは、三十歳から五十九歳の住民の九十二・三%は来住者で占められているということです。これはもう、どこの地域とも変らない、旧同和地区であるなしに関わりなしに人口変化が起こっているということを示しています。(資料・参照)
 そういう地域で、同和利権を食い物にする今回の問題が起こっているのです。
 ここでは、同対審の答申が出て、特別対策が行われるようになった一九六六年に急速、「解同」の支部が作られています。それまでは解放運動の歴史はあまりなく、水平社の歴史もありません。物がもらえそうだ、取れそうだというので「解同」がつくられたと言っても過言ではありません。


一、「人権は金になる」と豪語する地域人権協会理事長
 そこに丸尾という人間が入り込んできたわけですが、「人権は金になる」と彼は豪語しています。
 いわゆる大阪における窓口一本化方式(かっての『府同促・地区協』方式)、いまの人権協会方式とイコールなわけです。
 丸尾は一九七二年ごろに、支部役員になり、一九八〇年代に支部書記長になり、その後、一九九一年に顧問になって居座っているという人物です。
 彼が解放会館に出勤するときは黒塗りの外車に乗って、四~五人の子分を連れていました。こういう状況のもとで彼は思いのまま、会館のなかに『グリーン造園土木』という会社の事務所を置いて営業を続けてきました。こういうことがばれて裁判ですでに敗訴しています。また会館のなかで暴力事件を起こすなど、やりたい放題してきました。そうして今回八月に逮捕されるに至ったわけです。彼はかっては安中の地区協の幹部であり、会長でしたが、大阪での地区協というのは、だいたい小学校区単位に組織されていたものです。地区協の幹部というのはその地域の小・中・幼稚園、あるいは自治振興会とか福祉委員会など二十七の団体の長に座り、そして地域を支配して住民を押さえつけてきました。つまりそのトップにずっと暴力団の彼が座っていたということです。(資料・参照)


二、八尾市役所一部幹部と結びつく(恫喝と癒着の構造)
 彼は、八尾市役所の一部幹部と結びついていきました。
 彼の誕生会、人権協会の事務所びらき、あるは忘年会などには市の幹部四十~五十人を招待してきました。例年のように割烹「御代」を使って、市幹部との結びつきを強めてきていました。これに市の幹部が参加するのは、彼の機嫌をとっておかないと出世できないというほど市と丸尾が癒着してきたということです。
 ですから、例えば住宅の改修計画を市の幹部で話し合っていると、この情報が三時間後には彼のところに入り、彼から電話がはいり、「その仕事は俺にまかせろ、おれに相談せよ」ということになるという構造ができていたということです。
 あるとき、この地域に滋賀のほうから引越してこられた方が生活保護の相談で共産党の議員と一緒に福祉課に行かれたところ、これがその日のうちに彼の耳に入り、「共産党議員に相談するとはなにごとか」「この住宅から出て行け」というふうに圧力がかかったということがありました。癒着振りの一端はこのような問題としても現れているのです。
 また、八尾市が障害者総合福祉センターを作りました。これにいわゆる指定管理者制度を適用して、『虹のかけはし』という、丸尾が関係する団体がここに入っています。これにも「解同」、政治家、業者が一体となり、脅しと利権による結びつきがあったといわれています。このセンターを作るときに、業者から、二、六〇〇万円の協力金を取ったということが、つい最近新聞でも報道されていました。
 こういうことの裏には、八尾市の「方針」(〇二年)があります。「法」が切れたあとも、新しい同和行政を行う。「八尾市人権協会については、同和問題解決をはじめ多様な人権施策を推進してしくための協力機関として位置づけ、今後とも連携をはかるとともに、適切な支援に努めます」というものです。これに基づいて同和行政がなおも継続されており、同時に丸尾との癒着も進んできたということです。


三、地域住民支配と懐柔及び住民自治の破壊の実態
 そこで、彼になぜそんなことができたのかという問題です。行政との癒着と同時に、彼は地域をがんじがらめに押さえ込む、あれこれの手法を使ってきたことです。
 たとえば、地域のお年寄りを組織し、動員してデモをかけ、座り込みをし、特には同盟休校をするぞといって業者や行政に対する圧力をかける。それが住民の要求運動だという形態をとってきたということです。
 一九九八年八月には大手のゼネコンの大阪支社の前に座り込みをしました。大手ゼネコンが、なかなか協力金を出さないので、それに対して、地域のお年寄りを連れて座り込みをさせています。昨年もデモもやっていました。これは八尾市の安山東保育所民営化に関わって、それを自分のところに持って来いということでデモをやったのです。私もカメラをもって行きましたが、二〇〇名ばかりのお年寄りが、車椅子の人も、杖をついた人も一緒にデモをしていました。元気はありません。元気があるのは、三十名ほどのプラカードをもつ「丸尾」と染め抜いたジャンパーを着た若者ぐらいです。
 このときも、地域に動員をかけ、バス五台に分乗して市役所にデモをかけました。そして庁舎内でデモをやり、終ると参加者は庁舎から出てバスに乗り込みました。そのとき市の幹部がみんな出てきて握手をしているのです。そのあとバスは観劇に行っているのです。つまり観劇に無料招待することで、お年寄りをデモに引き連れていったのです。
 だから彼は地域で一定人気があるといってもいいと思います。人気を得るための方策に、たとえば地域の祭りを利用するということもあります。夏祭りなど地域の行事が行われるときに、二十軒ほどの屋台が出ます。ほとんどが無料なんです。夏祭りというと子どもたちは、あそこへ行けばタダやというのでどっと行きます。しかし、タダやから行くのは間違いだと言って地域の人は子どもに分からせるのに苦労しているということです。こういう教育問題も出てきています。
 また丸尾のやり方には、地域の人を観光旅行に和歌山へ連れて行ったりするということがあります。デモや集会に行きたくなくても行かざるをえないという。なぜか?それは、先ほども述べましたように、地域で「解同」がデモをするような場合、市営住宅入居者に動員をかけます。一軒あたり一人出すように、なお誰が出るか名前を書きハンコを押して出すようにと念書のようなものの提出が求められます。こんなことですから、行かないとすぐに分かるし、地域のなかで孤立させられてしまいます。
 さらに、彼は市営住宅入居者選考委員をしていますから、「この人は入れなあかん。理由はこれこれだ」と言えば、それで入れる。住宅に入りたいと思ったら、彼に従うしかないという状況が続いてきました。これまで安中地域では、公募で一般地域から入った例がないといわれてきました。けれど本当は、ヤクザの子分を含めて入っている人がいます。
 住宅入居基準に「人権度数」というものがあって、入れる入れないを決めていました。それは、この人は同和地区出身だから、一般地域へ行って住宅を借りようとしたら、それを理由に断られるからこの人は人権度数が高い。だから入れるというものです。「同和地区」と関係ない人でも、こうしたことによって入れたり入れなかったりするわけですから、住宅に入れてもらった人は、丸尾に逆らうことはできないということになります。こういうやり方をして、住民を押え込み、利権あさり、行政支配に利用してきたのです。(資料・参照)


四、ゼネコン支配の手法
 次にゼネコンからの協力金の問題です。
 これは、まず当初は入札予定業者に(そういうことがあってもなくても)「解同」地区協・人権協会の名で事前に接触を計り、「お前とこ談合やったんだろう」と問い詰め証拠はなくてもいい、「やっているんじゃないか」と決め付けておいて、市の力に「今度のこの事業の入札は談合だ」というような情報を入れる。こういう情報が入ると市としてはいったんは調べざるをえなくなる。調べた結果証拠はない、ということで事業が開始される。こうしたことが繰り返されるなかで、言うことをきかんところに脅しをかけてきました。丸尾らがこの脅しに応じない大手建設会社の工事を妨害。この会社の大阪支店前に、安中地区の老人多数と座り込み、脅迫したことは、先にも述べました。(九八年八月)
 それがたまらなくなって、企業のなかには彼の話にのって彼に談合してもらうということになり、その代わりに工事落札金額の三%~五%を彼に払うという裏取引がおこなわれるようになります。
 ところが、税法や業法のうえで「地元対策費」は認められないため、下請け工事代金に含めることにします。
 ここで、丸尾の舎弟企業・協力会社がその工事の下請け業者となり、「協力金」を手に入れる仕掛けが出来上ってきたのです。
 現在「協力金」問題として訴訟で明らかになったのは、市立病院建設八、二〇〇万円、竜華排水場長瀬川貯留施設工事六、五〇〇万円、障害者総合福祉センター建設二、六〇〇万円、市立病院機械工事四、一六〇万円です。現在ゼネコンの間では起案もされていない、市営住宅の建築業者まで決まっています。(訴訟証言)
 こういうことが今の市長になって激しくなってきたと言えます。
(次号に続く)


 資料1
・ 地区の「世帯・世帯員」の激変状況(二〇〇〇年実態調査)
・(激しい人口流動)B地区(旧安中地区)では原住者十五・三%、来住者八十四・二%で占められている(属地類型二の場合)。一九九〇年の調査では原住世帯二十八・一 %にたいし来住世帯七十一・八%であったからこの十年間の人口流動の激しさが判る。
・ (二十年間に住民の半分が転入)過去ニ十年間の来住者は五十ニ・五%、この十年間の来住者比は二十四・七%である。
・ (十年間に住民の三分の一が転出)B地区では人口が十年間に十%減少している。この十年間に二十四・七%の住民が転入したが十%の住民が減少している。転入を上回る転出があることを示す。現住地区出生者五・七%を含め三十四・七%の住民が流出していることになる。府同和地区全体の二十六・一%を上回り、文字通り同和地区住民は激しく入れ替わっていることになる。
・ (住民十人中九人が来住者)B地区では三十歳~五十九歳までの住民のうち九十ニ・三%は来住者であり、中高齢者に多い、残りの原住者は七・七%。これは部落が部落でなくなっている姿である。例えばB地区の五十歳も五十九歳までの者で九十七・六%が来住者という状況である。古くからB地区に住んでいる原住者は二・四%に過ぎない。これは同和地区といえない。
・ 「同対審答申」後の一九六六年支部結成。水平社の歴史や国策樹立請願運動や謹評などの共闘の歴史は無い。


(資料)・
・NPO人権安中地域協議会(代表丸尾勇)活動方針→同和事業の趣旨、目的の徹底と理解、事業成果の民主管理、同和問題の解決に向けた調査と啓発、人材育成、福祉事業増進のための人材育成均 まちづくり推進活動。
・地域人権協会は中学校区を中心に、幼・小・中学校、PTA、自治振、福祉委員会、老人会、人権ふれあいセンター、解同など二十七団体で構成されている。全く任意の民間団体。市の助成金を受けている。


(資料〉・
 ▲平成十七年度、丸尾の関係する三団体に八尾市が二十一件三、二〇〇万円の事業委託をしている。(市全体では七、一〇〇万)八尾市人権安中地域協議会事業への委託料計一八、三六〇、〇〇〇円。安中車庫利用者組合管理会安中住宅入居者用駐車場管理業務四、三〇〇、〇〇〇円。安中地区生きがいワーカーズ(府のコミュニティワーカーズ支援事業として府人権協会が委託)に委託料計九、四六三、三二二円、給食・配膳サービス・地域清掃として二〇〇〇年発足。大阪府は大阪府福祉人権推進センターに委託していた当時は目的として「同和問題の解決に資する福祉の増進」と明記。例 竜華配水池人力除草業務七七七、〇〇〇円
 ▲市立安中東保育所清掃業務一、四六八、九三五円▲青少年運動広場保安管理業務三、二八七、〇二七円(他の地域にはない)

                                                       転載終わり

日本共産党の所属議員の中には 地域のため理想を追求し戦っている人も確かにいます。
しかし。彼らが 日本共産党の中枢部が何を考えているのか、共産党運動が、中国がそうであるように、最後は 権力闘争に勝った(彼らにとってそれが優秀であるということ)少数(多くてひとけた)の最終決定に支配されてしまう結末を理解しているのかは 甚だ疑問です。

しかし、この記事には、私達が気付かなければならない何かがあります。
現在の 私達保守が。