水桶のフタ=その1.BIS規制 | 産経新聞を応援する会

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水桶のフタ=その1.BIS規制

金融緩和をしても、中小企業がお金を借りようとしないのを、馬の前に水桶に入れた水を差し出しても、馬が水を飲もうとしないことに例えられることについて、その水桶にはフタがしてあれば、馬が飲みたいと思っても飲めないと申し上げましたが、現実に、中小企業金融についてはその通りのことが起こっており、中小企業がお金を借りようとしないのではなく、中小企業が借りたくても借りられないようになっている現実があります。

借りられない理由は二つあります。一つはBIS規制に基づく金融検査マニュアル、もう一つは土地政策(固定資産税の重税化)に起因する地価下落により担保力が壊滅していることです。そして、この二つが起こっている理由が、二つとも政府の政策によるものであるということです。つまり、政府の政策により、中小企業はお金を借りられないのであり、自然現象でも、景気循環の問題でもありません。

1993年3月、日本でBIS規制が実施されました。BIS規制とは、G10諸国を対象に、「自己資本比率8%を達成できない銀行は、国際業務から事実上の撤退を余儀なくされる」というものです。日本では、国際基準とは別に、独自に、国内業務のみを行う銀行については自己資本比率を4%という規制を設けました。この規制のせいで日本国内の銀行は、収支が悪化すると自己資本比率4%を確保出来なくなるために、貸し渋りや貸し剥がしをやらざるを得なくなりました。各国で行われる、国内業務専門の金融機関に対しては、各国の事情に合わせて、規制内容を決めれば良く、このような厳しいものにする必要はなかったのですが、なぜか、日本では、国内金融機関に対しても、一行のもれもなく、厳しい基準が適用されました。

これは、竹中平蔵氏をはじめとする新自由主義者が、あるいは日本経済の復活を恐れたアメリカ資本が、金融面から、日本経済を圧殺しようとする企ての一つではないかと推測します。BIS規制は、日本の長期不況の中、繰り返し、銀行による貸出の障害となって、日本の中小企業のみならず金融機関も苦しめて来ました。

銀行の自己資本比率は、(自己資本)/(リスクの伴う総貸出高)で求められます。簡単に説明すると、「自己資本」は資本と劣後ローンや有価証券の含み益の45%、「リスクの伴う総貸出高」は国債の0%(ノーリスク)、銀行向け融資の50%、企業向け融資の100%、住宅ローンの50%を合計したものです。ただし、市場リスクによる調整が行われます。

したがって、国内業務を行う銀行については、企業向け融資を削減すれば、つまり、貸し渋りや貸し剥がしを行えば、自己資本比率を高めることができるので、産業金融がBIS規制に妨害される事態が起きるのです。

BIS規制は、バーゼルⅠからバーゼルⅢまで、次のように変遷しています。

バーゼルⅠ(BIS規制)1988年公開では、日本では1993年から実施、日本の銀行は自己資本比率を下げるを回避するため、中小企業などへの与信姿勢の後退をもたらし、貸し剥がしや貸し渋りが多発し、日本の景気低迷を長期化させる一因となりまし 

バーゼルⅡ(新BIS規制)2004年公開では、日本では2006年から実施、自己資本比率の査定がより精緻となり、その結果、株価の変動が敏感に自己資本比率に反映されるようになり、景気の悪い時はますます与信姿勢も悪くなりました。そうして、多くの企業(特に中小企業)が「要注意先」、「破綻懸念先」に転落し、融資が受けられず経営破綻に追い込まれるという悪循環が起きてしまったのでそして、銀行は、リスクの比重が0%である国債をますます多く購入するようになりました。

バーゼルⅢ(第三番目のBIS規制)2010年公開は、 2012年から段階的に実施され、2019年には全面的に適用されることになっています。銀行の自己資本の質の向上、リスク管理の一段の強化といった観点から 改訂されたことになっています。しかし、すでに、まず基準の適用が現実的に困難であるという問題が指摘されています。日本の場合、国内銀行において協議の中核的自己資本について7%の基準を満たす銀行は全体の7割であり、最低水準の4.5%を下回った銀行が5%あるため基準をみたすために増資が必要となり、資本を貯め込、貸し渋りにつながる可能性があると言われています

このBIS規制に基づき、1999年7月から金融機関管理行政の中心的役割を担っているものに、金融検査マニュアルというものがあります。このマニュアルは金融監督庁傘下のプロジェクトチーム、金融検査マニュアル検討委員会により作成されました。チームの中心的役割を担ったのは、後に「竹中チームのエンジン」と言われた、KPMGフィナンシャル代表の木村剛です。金融庁は日本の全ての金融機関に自己資本比率を守らせるため、金融検査マニュアルをもって指導します。この金融検査マニュアルが、いくら日銀が金融緩和をやっても、中小企業へ貸し出しが増えない原因の一つとなっているのです。(※もう一つの理由は「資産デフレ」です。)

BIS規制は銀行だけで、信用金庫には適用されていませんが、「金融検査マニュアル」は信用金庫にも適用され、同様の金融検査を受けていますから、信用金庫も、銀行と同様に、BIS規制を受けているも同然です。

その金融庁検査では、経営管理体制をはじめ様々な内容を検査するのですが、産業金融において重要な項目は「資産査定管理体制」です銀行がリスクを伴う貸出金等の自社資産の自己査定や、それに査定に基づく貸倒引当金が正しく行われているかどうか、金融庁はチェックするのです。自己査定といっても、金融庁がそれを検査して、悪ければ業務停止を含むペナルティーをあたえるのですから、結局は厳罰主義の他律査定です。金融機関の自主性が介在する余地は有り得ません。

金融検査マニュアルによると、かつて産業金融において頻繁に行われていたものものまでが不良債権と見なされます。例えば、貸出条件緩和債権といって、返済年数が延長されるような条件変更や借り替え融資を行うと、たちまち要管理債権となり、貸倒引当金が発生し、金融機関が自己資本比率が下がってしまうようになっているのです。これは、考えるとオカシナことで、条件変更や借替融資を行うと企業の生存確率は高まるのですから、貸倒引当金を発生させる必然性はないはずなのですが、金融検査マニュアルの検査基準から、このような計算が行われるのです

貸付を受けた企業はこれから頑張って生存していくのであって、金融機関が融資したということは生存する可能性が高いと見たと言うことです。ましてや、その結果が悪いほうに出ると決まったわけではなく、銀行に実際に赤字が発生しているわけでもありません。この赤字は制度上で発生しただけであり、いうなれば実体経済ではありません。実体経済においては、赤字の企業に貸し付けても、企業は立派に再生し、金融機関に立派に利益をもたらすことは多いのです。そういう理由から、以前の日本の銀行は、赤字企業でも銀行独自の判断から融資することはありました。銀行の自主性を認めてやりさえすれば、日本の銀行はけっこう企業の生存確率を見抜く能力があり優秀だったのです。逆に、制度と言うのは、実態ではないフィクションのリスク管理で、銀行業務を身動きが取れないほど拘束しているのです。

このほかにも、決算書の貸借対照表における債務超過や、損益計算書における損失、累積損失、などが、貸倒引当金を積まなければならない理由になります。貸倒引当金を積めば、金融機関の帳簿上は赤字が増えます。自己資本比率を守りたい金融機関としては、金利を稼ぐと言うメリットよりも、生存に関わる事態が発生します。「金融検査マニュアル」に生殺与奪権を握られていては、中小企業に融資して金利で稼などというささやかなメリットなど吹き飛んでしまうのです。

これまでの日本の金融機関の姿勢は、中小企業や国民と共に生きていこうというものでした。多少のリスクを中小企業と分かち合うことで、地域の中小企業を育成して、お金を借りてもらい、多少の金利をもらって生きていこうというスタンスだったのです。まことに健全な姿勢を持っていたのです。また、こうした土壌が、日本の産業の強みにもなっていたのです。

それが、現在は、金融機関は国内版BIS規制の実施によって、産業金融をあきらめ、投資業務を拡大し、投資信託などのマネーゲームに参加することで自分さえ金が稼げれば良いという意識に変えさせられました。また、そういう銀行の利益本位の体制のことを、金融庁は「金融機関の健全化」と言っているのです。

もともと、BIS規制は、アメリカの金融破綻の反省から、健全性を数値で義務付けようと始まったものですが、アメリカの銀行のような、あるときは詐欺的な、あるときはギャンブルのような、あるときは魔法のような商品を生み出して一攫千金を狙う商法は、別の方法で縛るべきなのであって、つまりは、刑法を適用すべきなのです。それを、全世界の銀行を、アメリカのような詐欺集団と同様に見なして、預金者の預金を掠め取らないように自己資本比率で縛り、中小企業融資に対してまでとやかく言うのは、全く馬鹿げたことと言うほかありません。世界がBIS規制の呪縛にかかっている限り、当分、金融が国民の幸福に役立つものになることは見込めないでしょう。

このように、中小企業や国民とリスクを共有しない金融機関が国民にとって必要と言えるのでしようか。最近の日本の金融機関は、産業や国民に資金を循環させるという社会的役割を放棄しているように見受けられます。金融機関に勤めた経験のある方なら解ると思いますが、このように日本の銀行が変質した理由は、BIS規制がその元凶です。