毛沢東・中国共産党の殺戮の歴史 (その6) | 産経新聞を応援する会

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中国共産党は33万人の長春住民を兵糧攻めによりわざと餓死させた



毛沢東・中国共産党の殺戮の歴史 (その6)

共産党成立から中華人民共和国成立まで





国共内戦で中国共産党は長春城内に籠城する蒋介石軍の食料を無くす為に、城内より避難する長春住民を城内に追い返した。そのため33万人の住民が餓死した。



19485月~10月の5ヶ月間、国民党軍が篭城する長春を中国共産軍は完全封鎖し、人と食糧の出入りを遮断。兵糧攻め、完全な飢餓殺人作戦を実施。

・城外に出てくる住民を城内に追い返した。篭城する国民党軍の食糧の減少を早めるためである。

・国民党軍は所有する食糧を決して住民に分配しなかった。そのため、しまいには住民は金塊を出して僅かな食糧を国民党軍から得たり、中には娘と引き換えるところまで追い込まれ、やがてネズミ、その次は木の皮まで食べつくし、そして最期に餓死者が続出した。まさに、飢餓地獄そのものであった。

・国民党軍も最期には投降した。

・城内に入った共産党軍の目にしたものは餓死者の地獄絵図であった。

・陥落前の人口50万人が17万人に減っていた。33万人の大虐殺である。

---少なめに発表する共産党でも長春市民の餓死者は12万人と発表した。



・殺す必要の全くない一般住民を戦争の道具として使った。

・無辜の民を虐殺。なぶり殺しそのものである。

・共産党のこの体質はそう簡単にはなくならないだろう。