毛沢東・中国共産党の殺戮の歴史 (その5) | 産経新聞を応援する会

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共産党成立から中華人民共和国成立まで



●紅軍は都会(江西省の吉安)でも大量殺人(1万人以上)

19309月江西省の吉安という都市を陥落させたが、45日間の占領の間に、なんと市民を1万人以上も虐殺したと記録されている。


●毛沢東は自からの権力確保の為に、同志ともいうべき、紅軍7万人の大粛清を行なった。


1930年の段階では毛沢東は共産党の最高幹部の1人ではあったが、最高指導者としての地位まではなかった。上海の共産党本部の下に、毛沢東ほかの紅軍指導者が各地に根拠地と兵士を従えていた。


みずからの地位確立の手段として、別の紅軍組織である「紅西地方軍」を自分の支配下に置くため、その最高指揮官である李文林と李配下の兵士ら7万人を粛清した。


・その際、いわば友軍を殺戮するわけなので、上海の共産党本部を納得させなければならない。


そのため、反共軍組織「AB(nti Bolshevik)団」が「紅西地方軍」に潜入していると、ウソの報告をしたのである。その時点で反共軍組織「AB団」は既に消滅していたのにである。


さらに、その報告の信憑性に疑問を挟んだ共産党本部を納得させるために、何と自らの部下にも「AB(nti Bolshevik)団」が潜入しているとして、自分の子飼いの将兵たちまでも粛清したのである。


みずからの権力確保のために、仲間であるはずの人間を殺すことさえしたのであった。


凄まじい限りの冷徹さである。その際、地獄のような拷問に耐えきれずに供述させられたウソの自白を証拠としているのであった。