毛沢東・中国共産党の殺戮の歴史 (その3) | 産経新聞を応援する会

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共産党成立から中華人民共和国成立まで。



●毛沢東の紅軍の遣り口-----一村一焼一殺」 

<一つの村では、一人の土豪を殺し、一軒の家を焼き払い、加えて財産を全部没収する> 

・毛沢東が率いる紅軍が、革命根拠地を拡大する中で、明文化した「行動方針」。

紅軍と配下の破落戸たちは喜んで、この行動方針を忠実に実行し、共産党紅軍の「革命根拠地」は徐々に拡大されていった。

1933年には、共産党紅軍が開拓した根拠地、つまり「中華ソヴイエト共和国臨時政府」の支配地域は、3600万人の人口を有する広大な地域に広がったと記録されている。1928年からわずか5年での「成果」である。

・そしてこの5年間、「一村一焼一殺」で殺された地主、素封家の総数は、何と10万人に上ったという。・・・・ 

共産党紅軍が最盛期に支配した地域の住民は3600万人だから、住民の360人に一人が殺された計算になる。



もと紅軍の幹部が明かしたその手口

・地元の様子に詳しいナラズ者たちの手引きで、襲撃目標の地主の家を前夜のうちに取り囲み夜明けと同時に襲い、土地の権利書と現金、金銀を奪う。素直に応じない時は家族に危害を加えると脅すか拷問を加える。

・紅軍は金銀のみを手にし、それ以外の家財道具はならず者に分配し、最後に、土地の権利書は村人の面前で燃やし皆にタダでやると言って、拍手喝采を得る。そして、地租を納めることと兵士になることを申し渡す。家屋敷は燃やす。

・その後は、村人を煽動して、人民裁判の糾弾を実施し、村人たちの面前で地主を銃殺する。