平和の鐘を響かせるために、今、出来ることは? | 【岡山・倉敷】心の隙間、子どもで埋めず自分で満たすと夢叶うんだぜ

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子どもに見せる代表、
 
カウンセラー
コーチ(コーチング)の
「モカ」こと村上桃香でスヨ。
 
 
 
今日は、以前に書いたブログ記事を加筆修正してお伝えします。
 
 
 

 

8月9日は…

 

 
 
 
長崎の原爆の日ですね。
 
 
 
 
 
夏休みの友に
「平和のかね(鐘)」
というお話があり、
 
我が子(当時小4)が音読してくれました。
 
 
 
 
戦時中のお話で、“お寺の鐘”目線で書かれています。
 
 
 

 

あらすじダイジェスト↓

 

 
 
 
 
“お寺の鐘”は、たくさんの人の涙を見てきました。
 
 
 
自分の大事な家族を亡くしても
「お国のため」
と歯を食いしばって涙をこらえている人たちが、こっそりお寺の鐘つき堂のかげへ来て、声を殺して泣いています。
 
 
 
 
 
かえでちゃんという女の子も、鐘つき堂のかげが拠り所でした。
 
 
父が亡くなったことで、親戚のすすめで母が再婚。
 
弟や妹は可愛がられても自分だけがつらく厳しくあたられる日々。
 
唯一甘えられる存在だった兄も飛行兵となり、南の海で亡くなったという知らせが届きます。
 
 
 
 
 
 
鐘つき堂のかげで、
 
顔をくしゃくしゃにして
胸が破れるくらいに声を出して
流れてくる涙をふこうともせず
 
思いっきり泣くかえでちゃん。
 
 
 
それをそっと見ていたお寺の奥さん。
 
 
 
 
 
…その晩、おしょうさんからこんな話が出ます。
 
 
 
村長の命令で、鉄砲の原料にするから、お寺の鐘を持っていかねばならなくなった…とのこと。
 
 
 
「あの鐘がなくなってしまったら、かえでちゃんが泣く場所がなくなってしまいます。
あの鐘は、とかされて鉄砲の弾になって、敵をやっつけるよりも、良い音を響かせて、みんなの心をなぐさめるほうが、よっぽどお国のためになると思います」
 
奥さんの言葉で、おしょうさんは鐘を持っていきませんでした。
 
 
 
 
 
 
…戦争が終わった暑い夏の日。
 
おしょうさんは、たくさんの人々のことを思いながら、心をこめて鐘をつきました。
 
その音で、村中の人々が戦争が終わったことを知ったのです。
 
 
 
それから毎年、8月15日におしょうさんは鐘をつき、いつしかみんなが、「平和の鐘」と呼ぶようになったのだそうです。
 
 
 
 
 

 

 

 

 
 
 
 
 
生きていくために、再婚をしなければならなかったお母さん。
 
かえでちゃんを可愛がる余裕のない、新しいお父さん。
 
それでもそこで生きていかなきゃいけない、かえでちゃん。
 
お国のために飛行兵になった、お兄ちゃん。
 
 
 
 
 
想像することしかできないけれど、どれだけ
 
大変で
理不尽で
悔しくて
つらくて
悲しい思いをしたことでしょう。
 
 
 
それでも、
 
生きて、ワタシたちの世代に命を繋いでくださったことに感謝しかありません。
 
 
 
 
 
そして、おしょうさんと奥さん。
 
みんなが差し出しているのに、
「鐘を持っていかない」
という選択をすることは、あの当時、とても勇気のいることだったと思うのです。
 
 
みんなの心の拠り所を守ってくれた行動に勇気をもらいました。
 
 
 
 
 
 
原爆犠牲者のご冥福をお祈りいたします。
 
 
 
世界中の人々が
幸せを感じ、
優しいまなざしを向け合えますように。
 
それぞれの心に
平和の鐘が響きますように。
 
 
 
 
そのために、自分が出来ることは何だろう。。。
 
 
 
 
何かを選択する時、
 
誰かに言われたから…
こうするべきだから…
 
ではなく、
 
おしょうさんと奥さんのように、自分とみんなの心に響くことを選択できる視点と勇気を持つ…と、あらためて胸に思ったモカなのでした。