12月オンラインダルシャン(講話)にご参加頂いた方から、体験談を頂きました。

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ダイヤモンド原田貴子様

スワミジ師、ご講話を誠にありがとうございます。スタッフの皆様、いつもお世話になっております、ありがとうございます。

ダルシャン中スワミジ師にお声がけ頂いた際、シャープでクリアな感じがしている、とお伝えしましたが、以前にも増して「間髪入れずにお言葉が入ってくる」が、一番しっくりする表現だったと思います。今日はどんなお話をされるのかな?というような、ある種身構えた姿勢が無くなったからでしょう。ありがたいことです。


今回のダルシャン、私が強く受け取ったワードは、“自然に起こる”でした。

ここ数日頻繁に登場しており、あぁ今必要なポイントはこれなんだなと感じました。お陰様で、プルシャとプラクリティの関係性におけるフォーカスが大きくシフトしました。

プラクリティは”物質自然”と訳されることが多く、これまで三次元的な“物質”に視点の比重がありましたが、大切なのは、“自然”の方だったのだと大きく目が開いた思いです。

今まで「力技で事を成す」方を好んでいたため、「何もせずおまかせする」ゾーンは居心地が悪くて仕方なかったのですね。

自然と食べるものが変わる、自然とそうなる。それが摂理なのだな、と思いました。少しずつ緩みの状態へ移行している気がします。

また、ずっと「体感が欲しい」と思っていましたが、それを持つ人を「羨ましいと思う心が薄らいでいる」ことに気づきました。
今は、「きっとそれは私にも起こるし、形を変えて今も起きている」という静かな信頼があります。

因果はあれど「意識の世界に惹きつけられる」肉体を与えられていることがすでに恩寵で、スワミジ師とのご縁を頂くという、更に大きな恩寵に恵まれた私達にできることは「スワミジ師のフィールドに触れ続ける」、促進させるなら「リトリートに参加する」だけなのですね。
スワミジ師の仰る「何万年も遅れる」とは、こういうことなのだろうなと思いました。

「ウソをつくつもりなんてない、本気でそう思っていると自分さえ巧妙に騙す自我を、パイロットババ猊下は容易く見抜いてしまわれる」とスワミジ師が仰った時、ギクリとしました。

あぁ、私はウソをついている。隠している、上手くやろうとしている。“私”がニセモノそのものだと指摘されたように感じてザワザワしたのだな、と思うのです。

そして昨夜、家族との意見の相違から、それがハッキリしました。
あぁ、これか。やっていることの実態は、分別という仮面を被った一方的な正当性と経験というエセ権威を振りかざした威圧。

湧いてくる思考そのものに善悪はなく、肉体から自我が生まれるのも自然なことなのに、それらが結びついた瞬間二元性が生まれ別物に変わる。結び目を解くには黙るしかないんだ。目を閉じた瞑想じゃなくてもサイレンスを実践しなければならない……絶対にスワミジ師のフィールドから離れてはいけない、と強く思いました。

終わりになりますが、新年を迎えるにあたり、スワミジ師のご健勝と皆様のご多幸をお祈り申し上げます。
身を置く場の重要性を念頭に、新たなスタートをきります。ありがとうございました!

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