九州紀行14 | 三十九さんの部屋

三十九さんの部屋

いざゆかん!民のために!

きのこ歴30年。
その歴史の中でひときわ自分の記憶に刻まれ、そして後の世に語り継ぐかもしれない旅がある。
西暦2011年、日本は菅総理の時代。
菌学会は東北、関東、西日本3つの支部が互いに研鑽を競い、
荒ぶる猛者?が野山を駆け巡っていた。
西方紀行伝 南国演義!

それがささやかな少年の趣味のためでも 我は律儀に語りかけた

町に埋もれて生きるのがいやに思えて 季節季節に雨を待った
これはなに?彼が尋ねる ハラタケと我は答える
野山にしみる雨で 菌類の成長を促す
限られた予算の中 無駄遣いしないように
息をアラゲきつい 山登り後を追っておいでよ

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星巌寺山門の背後の広場をさらに奥に進むと、そこには小城鍋島家の墓所がある。
広場から一段高くなった森の中に入ると、長い回廊があった。

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この「おたまや」には小城鍋島家代々の位牌が治められているという。

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回廊から墓所への手前に、五百羅漢の石造が立ち並んでいる。

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18世紀前半に作られたという五百羅漢。羅漢とは釈迦の弟子のこと。
いろんなユニークなポーズをとっている。
今までに破損や盗難にあい、現在では200体ほどしか残っていないそうだ。

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右後ろの人は肩が凝っているのだろうか。

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羅漢たちの立ち並ぶその奥に、小城鍋島家の墓所がある。
墓所の入口は立派な門構えになっている。

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門は硬く閉ざされているので、隙間から中をのぞいた。
ここには初代からの歴代の墓石が立ち並んでいる。
今も子孫が管理しているのだろうか。

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墓所前の回廊を墓所とは反対側に進むと、広い場所に出る。
あたりは竹林だが、ここには市民などが作った現代の五百羅漢の石造が置かれている。
なかなか現代的なユニークな造形のものもある。

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一角には、子どもが作ったとおぼしき陶器の羅漢が置かれていた。
他の羅漢像にならっておおらかな造形のものが多い。

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さすがに子どもが作っただけあって、中には「ウルト羅漢」とか「仮面羅漢ダー」とか「ど羅漢えもん」とでもいうべきものがある。
その羅漢像が置いてある棚の下からタケノコが伸びてきて、棚を突き上げている。
今頃はどうなってるのだろう。

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現代羅漢の置いてある竹林からは、東に向かって、中世小城の支配者、千葉氏の居城跡のあるところまで散策路が設けられている。
その名を「山辺の道」という。まあ、山麓にある道だからそういうのだろうが、「山辺の道」というと、奈良県の天理や桜井市を縦断する道が有名なのだが。
元来た道を戻るのもつまらんので、自然散策を楽しみながら歩くことにした。

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こうして見る限りちゃんと道として整備されている。

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このあたりはちょっと広々としている。
あんまり直射日光にはあたりたくないが仕方ない。
これをまっすぐ進んで向こうの山のほうに登っていくのかと思ったら、その手前で左に曲がっていくのだった。

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今度こそ涼しげな山の中に入る手前、こんなきれいなフジの花も咲いている。形はきれいではないが色が濃い。

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今度は涼しげな森の中を歩いていくが、逆にだれもいないのでちょっとさびしい。

次回 西方紀行伝南国演義
第15話「山辺の道 後編」
いざゆかん、民のために!