九州紀行11 | 三十九さんの部屋

三十九さんの部屋

いざゆかん!民のために!

きのこ歴30年。
その歴史の中でひときわ自分の記憶に刻まれ、そして後の世に語り継ぐかもしれない旅がある。
西暦2011年、日本は菅総理の時代。
菌学会は東北、関東、西日本3つの支部が互いに研鑽を競い、
荒ぶる猛者?が野山を駆け巡っていた。
西方紀行伝 南国演義!

少し前までは少年は外で遊んだ それが彼らの日常だった
ゲームと話すより泳いでる魚捕まえ きのこの名前など覚えたものだ
これはなに?彼が尋ねる ハツタケと我は答える
そのときすでに我は 少年を道連れにしている
先探しているから 迷わずに付いておいで
名前調べる頃を見計らい 図鑑出してあげるよ

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2日目は、いよいよ先祖ゆかりの地である、佐賀市のおとなりの小城市へ赴くことにした。中心部はもともと「小城町」だったものが、周辺のいくつかの町と合併して小城市になったという。
かつて佐賀藩の支藩のひとつ、小城藩のあったところ。
中世は千葉からやってきた千葉氏が支配し、京の都を模した町作りをした。そのため、現在でも「祇園」という地名があったり、毎年地元のおまつりとして「祇園祭り」が行われている。そのため小城市は全国にある「小京都」のひとつに数えられている。
小城を訪れるにあたり、特別な手がかりがあるわけではないが、事前に小城のことをいくらか調べ、小城藩の藩邸があった場所や歴史館、歴代藩主の菩提寺などのありかを突き止めていた。今回はそれらを尋ねてみることにした。

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佐賀駅前、佐賀城方面とは反対側の出入り口前に、小城羊羹で有名な「村岡総本舗」の店がある。ここでしか味わえないらしいあんぱんとコーヒーセットが注文できる。あんぱん2個とコーヒーのセットで420円というからリーズナブルだ。今回はパスしたが、今度来たときは入ってみよう。

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今はちょうど有田で陶器市が開催されており、全国から大勢の来客がある。そのため、この時期は特別に有田行きの特急が運行されており、その名も「有田陶器市号」。これはわかりやすい。

佐賀駅は九州各方面行きの電車の分岐点になっており、長崎や鹿児島方面行きに分かれる。かんじんの小城方面行きはというと、唐津方面行きの路線になるが、なんとそっち方面行きの便は1時間に1本しかないのだ。しかも、電車ではない。
事前にダイヤを調べていったわけではないが、まさかそんなに本数がないとは思わなかった。仮にも小城市の中心部のはずなのに?
普通、駅構内やホームには路線図があり、自分の目的地の駅がどこにあるのか、どの方面の便に乗ればいいのかわかるはずだが、それがいっさいない。どういうことか。
さらに、ホームに停車した電車(「汽車」というべきか)の車掌に小城方面行きは次いつ出るのか聞くと、1時間後までないというのだ。まさか!
念のために改札で再度駅員に尋ねると、それよりも前にあるではないか。危うくだまされるとこだった。サービスがなってないな。JR九州。

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唐津方面行きの車内からの風景。あたりに広がるこの田園風景、水田ではなく、麦畑。一面麦畑。
左の色の濃い部分はタマネギ。
九州では稲作の終わった後に麦をまいて、裏作としてやっているようだ。
だから、冬から初夏までは水田も麦畑になっている。
こんだけ麦を作ってさぞかし九州人は麦をたくさん食べるのだろうと思うが、大部分は大麦で、ビールや焼酎用になるのだろう。
佐賀はタマネギの産地としても名高いらしい。

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電車?内部。普通の電車とちがい、田舎の路線によくあるワンマンカーというやつだ。

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小城駅に到着。佐賀駅から15分ほど。
これが乗ってきた列車。一応、3両編成。

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これが小城駅。なんとも田舎の路線らしい駅のたたずまい。
これが小城市の駅。

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レトロな木造の駅舎だ。一応、駅員さんはいる。
前ではタクシーが1台待機している。
帰りの電車のダイヤを確認すると、ほんとうに1時間に1本が基本。
時間をメモしておかないと、ぎりぎり乗り遅れたら、1時間待たなければならなくなる。

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駅のほうから見た、小城市のメインストリート。
高いビルとかはない。

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小城といえば、「小城羊羹」が有名。ここはまさに小城。小城羊羹の本場だ。
本場だけあり、このメインストリート沿いには何軒もの羊羹屋がある。
閉まっている店もあるが。

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ここはまさに羊羹ストリートだ。

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向こうに見えるJAの建物がこの辺で一番高い建物かもしれない。

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左と右はどっちも羊羹屋だ。

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青いひさしの左側に書かれている「バナナ羊羹」が気になる。
その商品はこの店だけのようだ。
実は前の日に羊羹を3本ももらってしまったので、さすがにもう羊羹を買う気になれなかった。

「羊羹」というのは読んで字のごとくもともとは「羊のあつもの」だった。
中国では羊肉のあつもの(スープ料理)だったそうだ。
それが形を変えて日本に入ってきて、小豆をかんてんで固めたものになった。

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ただの民家だが、そこのフジが妙にきれいだった。

次回 西方紀行伝南国演義
第12話「小城藩の痕跡」
いざゆかん、民のために!