発掘された日本列島1 | 三十九さんの部屋

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先週、NHK大阪放送局に隣接する(合体している?)大阪歴史博物館へ「発掘された日本列島2010」を見に行った。
館内では撮影はOK。ただし、フラッシュや三脚の使用は不可。
デジカメならそんなもの使わなくても撮れるので、遠慮無くじゃんじゃん撮影した。

各地を巡回した展示もここが最後。今度の日曜日まで。

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群馬県渋川市の上白井西伊熊遺跡から出土した石器の原石。
約18,000~20,000年前の旧石器時代後期のもの。
黒色安山岩や黒色頁岩を用いて石器を作っていた遺跡で、
石器を作るために割られた原石が出土。
石器を造る工程で割られた石を接合すると、ひとかたまりの原石が復元できた。
これにより当時どうやって石器を作っていったのかがわかる。
西日本で多く用いられた「瀬戸内技法」という製作法を用いたものが関東から出土したということは、当時の東西の交流を物語る。

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埼玉県蓮田市の黒浜貝塚から出土した軽石でできた浮き。
左のは左端にあけた穴に、右のはとってに糸を結んで釣りに使ったのか。
約6,000~5,000年前の縄文時代前期。

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今回の展示のメインビジュアルにもなっている土偶。
奈良県橿原市・御所市の観音寺本馬遺跡出土。
約3,000年前の縄文時代晩期。
一見、大きく口を開けたとぼけた顔のように見えるが、頭の両端の穴は耳だとか。
縄文時代の土偶は豊満な女性を表したようなものが多いが、これは珍しく力強い男性的なもの。

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ふくらはぎが異様に盛り上がって力強く強調されている。

縄文時代の土偶、古墳時代の埴輪、近世の土人形、現代のフィギュア。
日本人は昔も今もかわらず土をこねてフィギュアを作るのが好きなようだ。

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翡翠の勾玉と丸玉。
翡翠には硬玉(ジェダイト)と軟玉(ネフライト)があり、普通、「翡翠」というと硬玉をさす。
軟玉は中国で「玉」といわれて重宝された。
日本は優良な翡翠の産地で、特に糸魚川周辺は古くから翡翠の産地として知られていた。
翡翠は硬度が水晶なみだが、緻密な結晶構造で、非常に強靱。
そのため、加工するのは容易ではなく、ダイヤモンドも鉄もなかった時代にこのように加工するには根気のいる作業だったろう。

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奈良県田原本町の唐古・鍵遺跡から出土して注目された絵画土器。
特に二階建て以上の建物(楼閣)が描かれたものは、弥生時代中期後半(2世紀)に、この付近にこのような高層建物が存在したことを示すもの。
屋根の軒先にはわらびのような装飾が施され、鳥が停まっているように表現されている。
今遺跡の現地ではこの絵をもとにした復元楼閣が建てられている。
唐古・鍵遺跡の弥生集落は何重にも掘りを巡らした巨大集落で、700年近くも続いたという。
おそらく、この集落に続く形で巻向遺跡の集落が営まれ、「ヤマト」の前哨になったと思われる。

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奈良県天理市の赤土山古墳の円筒埴輪。
周辺には4~5世紀の古墳が多くあり、この古墳は古代の有力豪族「ワニ氏」の墓の可能性がある。

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古墳が築造されてほどなく大地震が襲い、墳丘に並べられた円筒埴輪列がそのままずり落ちた状態で出土。これは復元模型。
埴輪の設置場所が判明したため、史跡に指定されているこの古墳の現地では一部葺き石と埴輪が復元されている。