神の道である神経から辿っていこう
まずは視神経=視覚からいく
視覚の情報量はとても多いので
人間が思っている以上に影響を受けている
視神経から伝わる情報は物体に反射した光
光子というわけだが
さらにミクロに見ていくと光子の粒子はそれ以外のものを吸収してくる
波動だ
(余談だが未来では波動の粒子も観測できるようになる
発見当初それは神の粒子と呼ばれたものが)
赤ん坊の笑顔を見たらおもわず微笑んでしまう
一方で
腐敗した死骸を見たらとたんに吐いてしまう人もいるだろう
それはホログラム以上の情報
すなわち波動を運んでくるからだ
人体のほとんどの構成要素は水なので
もともと光子が運んできた波動の影響を吸収しやすい体質なのだ
清んだ水面に墨汁を垂らすとたちまち汚れが拡がっていくのと同じように
そして見る対象はほとんどの場合は自分以外の物質である
自分ではないものの波動の影響を絶えず受けているということになる
これでは自分自身で居られるわけがない
目を開けた状態で自分の波動を保つのは至難の業と言える
おそらく覚えていないだろうが
はじめて鏡を見たときの感覚を思い出せるだろうか
人生ではじめて自分の姿を認識した時のことを
きっとそれは妙な心地だったに違いない
そして3秒と一緒に居られなかったはずだ
鏡の中の自分と
通常は自分以外のものを見て波動が調律されているため
鏡の中の本来の自分の波動に違和感を覚える
恥ずかしいのではない
なんだか落ち着かないのだ
一日一分でもいいから
鏡の中の自分と見つめあってみてほしい
何も思わなくてもいいし
何かを感じてもそのままでいい
ただ自分と一緒にいてあげるだけでいい
(視覚メソッドの強力な応用版は追って紹介する)
脳みそや顕在意識で考えることなんて微々たるものなので
見つめている間に
圧倒的な波動の力で自動的にチューニングをしてくれるから
どんな名器の楽器だって毎日弾いていてもチューニングが欠かせないように
自分の弦を整えないと本来の響きは奏でられない
自分らしくあるということは自分本来の振動数を奏でることにほかならないのだから
あなたが本来のあなたの周波数に整う時
そこに神の力が宿る
これがひとつめの鏡が神社のご神体である理由
もうひとつは全く別な理由で...