国道9号松河原交差点を海側に折れてヘアピンカーブを西へ走った道沿いに立つ鳥居。
駐車場完備。
一角に由来書看板。
「木ノ根神社」の由来
男性を象徴した形の老松の根をご神体とする木ノ根神社は、子宝、縁結びなどに御利益があるとされ、このご利益を求めて遠くからも参拝者が訪れています。
神社にはこんないいつたえが残されています。
生まれつき身体が弱く、元気のない松助という若者は、結婚すればすぐお嫁さんに逃げられてしましました。
母親は、何とかならにものかと八幡さんにお参りすると「山の中ほどにある大きな松の根にあやかりなさい。」とお告げがありました。
そこで、母親は、その松の根を持ち帰り、朝夕一心にお祈りすると、数日たって松助は見違えるほど立派な男になり、後に五人の子どもに恵まれ、長者になったということです。
文豪ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、前年に見学した下市の盆踊りに魅せられて、明治二十四年に夫人セツと再びこの地を訪れ、紀行文「日本海に沿うて」に『崖の上には樹齢いくばくも知れぬもごとな老松が・・・。・・・その三本の根そのものの形が、民間信仰からこの木を神木に祀りあげた・・・』とこの神社のことを紹介しています。
大山町
大山町観光協会中山支部
以上、由来書看板全文転載。
駐車場の隅に鳥居。
扁額は「木根神社」。
春は桜。
秋は黄葉。
足元には黄色いバリア。
歩く毎にダメージ30ポイント。
社殿。
千羽鶴。
イチモツ・・・!?
駒札。
木の根さん「への子松」について
老松銘木数あれど松根変じて男根を型作るもの数なし。
「木の根さん」「への子松」と称えられて大病を煩ひ、丑の時参りをするもの。
誓詞を捧げて祈念を仰ぐもの。夫の不義を知って祈念するもの。陰茎の役立たざるを嘆いて祈念を頼むもの。子授、寝小便、脱腸を祈祷して後利益を受けざるものなし。
北は北海道より南は九州。外国人すら訪れ、造化に妙るる自然の不可思議なるに驚嘆せざるものなく、明治の初年ご神助を受けたるもの相謀り、此処に小祠を建て、これを祭る。
以来、御神徳の宏大なるを知って、陰部の強健と病気(腰より下の病気)の平癒を祈って御神助にあやからんと訪れ、参拝するもの日ごとに多し。 ここに神社の略歴を記して参拝者の信仰を高めんとす。
以上、駒札全文転載。
男根と又・・・
男根・・・
5本・・・
おや、先っぽに・・・
カマキリ夫人・・・
あなおそろしあ・・・
これが男根に見えてしまったのはカマキリ婦人の呪い・・・
社殿からハミ出る巨大な木の根・・・
世界の大文豪家ラフカディオ・ハーン
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、前年見物した下市の盆踊りに魅せられて、明治二十四年(一八九一)八月中ごろセツ夫人を伴って、再びこの地を訪れたさい、ここ木ノ根神社に立ち寄り、性器崇拝のなごろをとどめた神木を見物しました。ハーンは、このときのことを後に紀行文「日本海に沿うて」の中で「上市という、眠ったような小さな村に近くで、名高い神木を見るというので足を止める。神木は小高い丘の森の中にあった。木立をはいると、三方を低い崖に囲まれた、小さな窪地みたいなところへひょっころ出た………」という書き出しで、この神社のことを拡く紹介している。
以上、駒札全文転載。
木根さん参り
崖の上には、樹齢いくばくとも知れぬ見事な老松が、亭々群ら立っている。太い盤根が岩を割って崖の表面に這いだし、さしだす枝と枝が低いそこの窪地に、昼なお暗い緑陰をおとしている。その中の一本が、太い三本の根を妙な形に突き出していて、その根元のところに、なにやら祈願の文句を記した紙のお札だの、奉納の海草だのが巻きつけてある。なにか言い伝えによるというよりも、その三本の根そのものの形が、民間信仰から、この木を神木に祀り上げたというものであるらしい。
小泉八雲「日本海に沿うて」
(平井呈一訳)より
曽孫 小泉凡書
以上、石碑文全文転載。
甫登神社と逢坂八幡神社は社殿を右に進め。
細い参道に黄色のバリア。
樹木が鬱蒼と繁る小径の脇に・・・
大砲ひとつに弾ふたつ・・・
これも男根・・・
チ〇コ岩・・・
六角堂。
この先甫登神社元宮遥拝所。
手前の石段を下れば鉄道コンテナを改造した社殿、下市入口バス停。
名称:木ノ根神社
鎮座地:鳥取県西伯郡大山町松河原232
御祭神:
配祭神:
祭礼日:例大祭4月10日
創建:
ホームページ:【公式】逢坂八幡神社
駐車場:有
●アクセス
鉄道:JR西日本山陰本線下市駅下車約1.4km徒歩25分
バス:JR西日本山陰本線米子駅下車日交バス下市線下市入口行乗車約50分終点下車徒歩1分
自動車:山陰移動車道赤碕中山ICより国道9号経由約6km10分