風に吹かれて御堂筋から舞い込んできた落ち葉をイメージした装飾。

 

 

そごう心斎橋本店御堂筋側玄関床の象嵌。

 

 

この演出をコンビニ屋さんはムダなものだと斬り捨てた。

 

 

今月11日、セブン&アイ ホールディングスは、傘下の百貨店「そごう・西武」をアメリカの投資ファンド「フォートレス・インベストメント・グループ」(以下フォートレス)へ売却すると発表した。売却額は企業価値2,500億円にそごう・西武およびその子会社の純利子負債や運転資本にかかわる調整などを加味して確定させるとしており2,000億円を超えると見込まれている。

 

 

2006(平成18)年6月にコンビニが百貨店を買収した大異変は、現代の下克上といわれたが、買収時にあった9,664億円の売上はおよそ6割減少して4,200億円にまで落ち込み、257億円の黒字から88億円の赤字を出すまでの体たらく。

 

どうしてこうなった?

 

長く小売業の王様として君臨してきた百貨店は、その売上をスーパーに抜かれた後もブランドイメージは高く、スーパーの経営者は百貨店のそれを欲しがった。

 

ダイエー、イオン、イトーヨーカドーなど大手スーパーは、株の買収などで百貨店を傘下に収めようとしたが失敗。

 

「百貨店の値段は高いから安くすれば売れる」「百貨店は無駄が多くて効率が悪い。無駄をなくして効率をよくすれば値段を安くできる」と考えたスーパーの経営者は、自前の百貨店を立ち上げて実践してみたが、そのほとんどが失敗。

 

そこにあるのは、包装紙がモノをいう世界。呉服系|電鉄系|スーパー系という店格の壁。呉服と電鉄を隔てる壁は高い。しかし、電鉄とスーパーを隔てる壁はさらに高くて分厚い鉄壁に加えて、深くて長い越えることができない溝が横たわっていた。

 

コンビニエンスストア「セブンイレブン」や総合スーパー「イトーヨーカ堂」を傘下に持つ「セブン&アイ・ホールディングス」が「西武百貨店」と「そごう」を傘下に持つ「ミレニアムリテイリング」を完全子会社化したのは2006(平成18)年6月1日。

 

 

百貨店という高嶺の花を手に入れるという悲願を達成したセブン&アイは、経営の立て直しに着手。

 

その手始めとして、年間1億円の維持費がかかるとされたそごうの「世界の人形時計」の運用を2008(平成20)年4月15日付で終了。

 

 

2009(平成21)年2月10日グループのシナジー効果を狙って基幹店の西武池袋本店にプライべートブランド「セブンプレミアム」を導入。好調だったことから西武各店への導入開始。

 

同年8月31日付でそごう心斎橋本店の営業を終了。土地・建物を隣接する大丸に売却。

 

 

同年9月30日付で西武札幌店(旧五番舘西武)の営業を終了。

 

2010(平成22)年12月25日西武有楽町店の営業を終了。

 

 

2012(平成24年)年1月31日付でそごう八王子店の営業を終了。

 

 

2013(平成25)年より元旦営業を開始。

 

百貨店の経営者が思いもつかない施策を推し進めて効率化を図り、事業立て直しを目論み一定の効果を上げたが、その代償としてブランドイメージを棄損。イケセイはもはや百貨店ではなく、駅の巨大なセブンイレブンと揶揄されるほど店格は大暴落。

 

 

2013(平成25)年1月31日付で西武沼津店・そごう呉店の営業を終了。

 

 

2016(平成28)年2月28日付で西武春日部店(旧ロビンソン百貨店春日部店)の営業を終了。

 

 

同年9月30日付でそごう柏店・西武旭川店の営業を終了。

 

 

2017(平成29)年2月28日付で西武船筑波店・西武八尾店の営業を終了。

 

 

2018(平成30)年2月28日付で西武船橋店・西武小田原店(旧ロビンソン百貨店小田原店)の営業を終了。

 

 

2019(令和元)年9月30日付でそごう神戸店・西武高槻店が営業を終了。同年10月5日阪急神戸店・阪急高槻店として営業を開始。

 

 

2020(令和二)年8月31日付で西武岡崎店・西武大津店・そごう西神店・そごう徳島店の営業を終了。

 

 

2021(令和三)年2月28日付でそごう川口店・西武福井店新館の営業を終了。

 

 

セブン&アイに合併されて以降、店舗の閉鎖を繰り返し、合併当時の28店舗から10店舗(西武池袋本店・西武渋谷店・西武東戸塚店・西武所沢店・西武秋田店・西武福井店・そごう横浜店・そごう千葉店・そごう大宮店・そごう広島店)にまで減少。

 

 

店舗閉鎖が悪いことだとは言えないが、閉めるだけなら誰にでもできる。最終的には池袋・渋谷・横浜・千葉の4店舗にまで減らす方針かとも思っていたら、まさかの会社ごと売却。

 

売却先のフォートレスは家電量販店大手「ヨドバシホールディングス」と提携しており、ヨドバシが西武池袋本店と西武渋谷店、そごう千葉店の一部を取得して出店する見込み。

 

 

西武百貨店とヨドバシカメラの因縁は、旧大阪鉄道管理局跡地の入札が実施された1997(平成9)年3月3日にまでる。

 

 

入札額は三越・富士火災海上保険グループが750億円、西武百貨店・パルコ・積水ハウスグループが753億円、ヨドバシカメラが1010億円で、結果ヨドバシカメラが落札。

 

 

25年で立場が逆転することになるとは、あの時は想像できなかった。いや、あの時点で立場が逆転していたのかもしれない。

 

 

一部の基幹店がヨドバシ化する一方、地方店などはフォートレスが百貨店のフォーマットでテコ入れを図るとの見方もあるが、見通しは今のところ不明。

 

なお、2000年の経営破綻前、そごうは積極的な店舗展開で、国内31店舗・海外21店舗、合計52店舗を擁し、業界売上1位を記録。また、西武百貨店は1992年の最盛期には32店舗、2000年時点でも24店舗を擁していた。

 

そごう

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また、1980年代は、ファッション・文化の発信地として「脱百貨店」「情報発信基地」「オイシイ生活」などのキャッチコピーに「文化」「感性」でバブル消費社会を席巻、三越や伊勢丹ではなく西武が一番輝いてた。

 

西武百貨店

池袋本店・渋谷・有楽町・八王子・札幌(五番舘)・函館・旭川・本金(秋田)・宇都宮・筑波・大宮・春日部(ロビンソン百貨店春日部店)・市川・船橋・鎌倉・川崎・小田原(ロビンソン百貨店小田原店)・軽井沢・沼津・静岡・浜松・豊橋・岡崎・富山・小松・大津・高槻・八尾・塚新(尼崎市)・神戸・高知

 

あゝ あの頃がなつかしい 夢の跡