峠の釜めしではなく「峠の亀石」。

 

 

「亀石」と称する巨石・霊岩の類は全国に見られる。奈良県明日香村のものが特に有名だが、鳥取県内にも3つの「亀石」がある。

 

ひとつは以前に紹介した県中部湯梨浜町の海上に浮かぶ亀石

 

今回訪ねたのは、鳥取県道293号鳥取郡家線沿いに鎮座する「霊石 亀石」。

 

 

「血染の霊石」とも呼ばれ、持ち帰ったりすると不幸を招くとして地元では有名だと聞く。

 

 

その由来は、戦国時代の織田信長による中国攻めで、羽柴秀吉による1581(天正9)年の鳥取城攻めの際、周辺の城や寺を焼き払い多くの犠牲者が出たと考えられている。

 

 

戦いに敗れた武将たちは、この亀石の前で最期を遂げたと伝わる。

 

 

つづら折りの峠道の途上に位置する中山展望台は駐車場完備。

 

 

そこから旧郡家町が一望できる。

 

 

亀石は展望台の一角、県道を隔てた丘の登り口で生け垣に囲まれている。

 

 

想像以上の大きさ。

 

 

圧倒的な存在感と異様な空気感を醸し出している。

 

霊石 亀石

この巨石は、県道、鳥取郡家線建設の敷地内(現位置より三百米降った地点)の雑木林に往古から在った石である。

 長さ四・八米 巾二・四米  高さ一・六米 重さ二五トンという巨大大岩で、亀の形によく似ている為、人々は「亀石」と呼んでいる。

 この石には、昔戦いに敗れた名だたる武将が、従者三名と共にこの地で非業の最期をとげ、その霊が宿る「血染めの霊石」という伝承がある。

 この中山一帯は、天正時代(天正九年 一五八一)羽柴秀吉の鳥取城攻めの砌り、近郷の諸城ことごとく落城し、その浪士たちと近在の城光寺・最勝寺・慈住寺(廃寺)・大安寺(廃寺)・末寺など合わせて三百余ヶ寺の衆徒三千余騎が、中山に楯こもり防戦した。これを羽柴秀吉の臣、堀久太郎秀政が約二千余騎の軍兵を率いて攻撃したが、衆徒たちの抵抗に攻めあぐみ、羽柴秀吉軍は、一計をめぐらし裏山の密林より火を放った。折からの烈風に全山の僧坊、堂宇残らず焼失し、堕落した。と伝えられる古戦場である。

 「亀石」にまつわる敗戦の名だたる武将たちは、この時戦いに敗れて傷つき、この亀石の前まで逃れて来て、無念の最期をとげし人々である。という説である。

 

 当協議会は、この石の由緒を伝承するため祈願いたし、この地へ移転したものである。

 

 昭和六十一年七月二十八日

中山開発事業推進協議会

 

以上、由緒書き看板全文転載。

 

丘の中腹には東屋が整備されている。

 

 

亀石に手を合わせてから上る。

 

 

東屋。

 

 

藤棚。

 

 

眺望絶佳。

 

 

花の向こうに広がる長閑な景色。

 

 

標高173m。

 

 

登ってみたら・・・、何もなかった。

 

 

樹木に視界を遮られていて眺めもイマイチ・・・


 

東屋から県道293号を見下ろしてみると、駐車場の少し下、県道沿いに謎の建屋。

 

 

これは!!

 

 

恐怖の便所。

 

 

カーブの途中におる。

 

 

遠巻きに眺めるだけで立ち去ろう・・・。

 

◇概要

名称:亀石

所在地:鳥取県八頭郡八頭町池田

駐車場:有

●アクセス

自動車:鳥取自動車道河原ICより7kmの10分

鉄道:JR西日本因美線東郡家駅下車約3.4km徒歩50分|自動車5分

バス:JR因美線郡家駅下車やずバス大御門・国中線大門行乗車3分池田下車徒歩30分※平日運行上り2便・下り3便●土日祝運休

八頭町営「やずバス」運航時刻表