鳥取県内の優れた建築物を選定した「県民の建物100選」を巡礼するシリーズ、6件目は、第1章 ふるさとの祈り より 因幡の浄土「摩尼寺」

 

その昔、湖山長者の娘が帝釈天に化身し「今より後は此の峰に鎮座して末永く仏法を護り普く衆生を能化せん」と告げられ、摩尼山中の立岩に霊蹟を伝えた。

 

 

開山は承和年間(834年頃)、慈覚大師が唐よりの帰路に立ち寄り、八葉蓮華を著すこの峯に感得し、仏法東漸の道場を起したことが始まりだと伝わる。

 

 

仏法伝説に帝釈天の居住地は喜見山摩尼殿といわれていることから山号寺号とした。

 

 

古来、多くの令状が女人禁制が当たり前の中、慈覚大師は女人参詣も許したことから、女人の信仰も篤く、往古は四十九坊を構えていた。

 


 

豊臣秀吉が鳥取攻めの際、住職同好和尚を騙し、摩尼寺すべてを破壊した。

 

 

その後の池田家統治時代、大雲院の住職に復興の命が下り、二代から四代の住職により現在の場所に再建。五代観洞和尚の時代に安楽律法流となった。

 

境内は門前から急な石段を三百余り登ったところにある。

 

 

両側の繁みには石仏安置、参詣者に菩薩の功徳を授けている。

 

 

石段の中腹にある仁王門は、1549(文禄3)年に隠岐諸島西ノ島の焼火神社より移築されたものだと伝わるが真偽は不明。

 

 

県下で唯一の本格的な形式を持った三間一戸の楼門である。

 

 

山門を入ると正面に千徳殿と呼ばれる本堂が重鎮。

 

 

本堂は江戸時代後期に再建されたもので、三間堂ながら威厳があり、由緒を感じさせる。

 

 

御本尊の千手観世音菩薩と帝釈天を中心として左右に四天王天が安置されている。

 

 

続いて十王堂(閻魔堂)。

 

 

その前に三祖堂。

 

 

向かって右から弘法大師、傳教大師、慈覚大師。

 

 

さらに奥まった台地に建てられた摂取殿(善光寺如来堂)には善光寺分身如来が祀られている。

 

 

如来堂は明治後期に建立されたが、昭和18年の鳥取大震災で激しく損傷。現在の建物は1980年代(昭和50年代)に再建されたもの。

 

 

長野の善光寺の分身と虚空蔵菩薩をご本尊として、善光寺と同様に戒壇巡りができるように設計されている。御本尊真下に極楽浄土への鍵が吊り下げられてあり、鍵に触れることができれば往生できると伝わる。

 

 

如来堂裏手が法界場。

 

 

古くから、摩尼山には亡き人の霊魂が集まると信じられており、「因幡の浄土」として今も深い信仰を集めている。

 

 

これより展望台、奥の院へと古拝道が続く。

 

 

山頂付近の奥の院には、帝釋天が出現したという霊跡など多くの遺跡も点在している。

 

 

◆概要

名称:摩尼寺

所在地:鳥取県鳥取市覚寺624

宗派:天台宗

山号:喜見山

院号:安楽律法流

御本尊:千手観世音菩薩、帝釈天

創建:承和年間(834年頃)

開基:慈覚大師

ホームページ:摩尼寺 | 中国観音霊場

駐車場:有

●アクセス

鉄道:JR西日本山陰本線鳥取駅下車・日交バス北園行20分摩尼寺口下車2.3km徒歩30分
自動車:鳥取自動車道鳥取西ICから約9.5km20分

 

■参考文献

『とっとり建築探訪 県民の建物100選』 『県民の建物100選』編集委員会 編 社団法人鳥取県建築士会 発行