やあ、人間のみなさんゲゲゲの鬼太郎です。

 

 

水木しげるロードのほぼ真ん中、大正橋からおはようございます。

 

 

少し前、早朝6時ぐらいに大勢のテレビクルーに囲まれたおじいちゃんを見た、という情報をいただいておりました。

 

 

ゲゲゲ!!

 

 

そういうことです。

 

 

鳥取県の西端に位置する境港市は、漫画家・妖怪研究家の水木しげるさんの出身地。

 

 

妖怪ブロンズ像が177体も並ぶ水木しげるロードは、山陰有数の観光地。

 

鬼太郎の横でずっと小豆を洗っている人がおる。

 

 

すごく体やわらかいですね。

 

 

ですよね~

 

水木さんが描いた境港と島根半島。

 

 

幅およそ800mの境水道を隔てた対岸は島根県。幼少期を境港で過ごした水木さんは毎日、生家からこの神秘的な島根半島を眺めて過ごした。

 

 

島根半島から見える水木さんの生家。

 

 

境水道は、中海から日本海(美保湾)の中間に位置する全長約8kmの水域。米子港などに向かう船舶が往来する水路で、そこを流れる水はしょっぱく、一見すると海峡。

 

 

中海は過去に干拓・淡水化事業が実施されたことから汽水湖に区分。このため、境水道の行政上の区分は「川」に相当。

 

 

境水道は島根県仁多郡奥出雲町の船通山を源流ととする斐伊川の一部で、出雲平野、宍道湖へと流れ込み、大橋川から中海へと流入。さらに境水道を通じて日本海へと注ぐ全長153km最終地点がここ。

 

 

その長さは、東名高速道路東京ICから静岡県の新東名高速道路新静岡IC付近まで(156.5km)に相当。

 

島根半島は西端日御碕から東端地蔵埼まで約65kmに亘って同じような高さの丘陵が続く。

 

 

これは断層。そうゲゲ断層。

 

 

『出雲國風土記』の「国引き神話」には、八束水臣津野命(やつかみずおみづのみこと)が、海の彼方から4つの陸地を引き寄せてを形成したとある。

 

 

その4つの陸地がつながる3カ所を「折絶(おりたえ)」といい、西から「去豆(こづ)」「多久(たく)」「宇波(うなみ)」と呼ばれている。この折絶は地質的に変化する場所で、有史以前の大地変動の痕跡を見ることができる。

 

水木さんの生家のちょうど向い側の山の中に砕石跡があり、島根半島の地層を見ることができる。

 

 

山頂付近に現れた巨大な目。

 

 

これは西洋妖怪の首領、バックベアード!?

 

江戸時代、境水道のそこここに岩礁が存在しており、米子港へ向かう北前船が乗り上げ座礁したことから北国倒しと呼ばれた。そのほとんどは浚渫により除去された。

 

 

今も残る入道礁と呼ばれるこの岩礁は、断層で分断された岩体の一部。

 

 

見渡す限り山だらけの島根半島の南には、対照的な平たい妖怪のまち境港。

 

 

鳥取県西端部、米子から境港に向かって細長く延びる弓浜半島。

 

 

全長約17km×幅約4kmの巨大な砂州。

 

 

その面積は日本一。

 

 

大山から見る弓浜半島は弓形。島根半島から見てもやっぱり弓形。

 

 

タモリさんが向かった尻尾はこの辺り。

 

 

中国地方最高峰の大山。

 

 

この辺りは弓ヶ浜と呼ばれる。

 

 

ずーっと続く砂浜。

 

 

弓浜半島の形成は、日野川による砂礫の供給、海面水位の変化、海流、波風、洪水などの気象変化の影響によるものとされる。

 

江戸時代になるとこの広大な砂州が急拡大。その謎は1時間ほど南に位置する南部町の山の中にあり。

 

 

山また山の山の中に突如として現れた開けた土地。

 

人はこの別天地を天空の田んぼと呼ぶ。

 

 

これはたたら製鉄によるもの。

 

 

鉄穴(かんな)流しによって大量の砂が日野川から美保湾に流出。

 

 

それにより急速に砂州が拡大し現在のような弓浜半島を形成した。

 

 

古くは弓浜半島の北側の辺りは島であったと考えられ、奈良時代初期に完成したとされる『出雲國風土記』に「夜見の嶋」と記されている。

 

 

室町時代初期に成立した『大山寺縁起絵巻』に弓ヶ浜半島が記されており、平安時代にはすでに半島は形成されていたと考えられている。

 

 

古い時代、弓ヶ浜半島は何ヶ所か海峡によって分断されていたと考えられており、陸地が途切れる端というような意味合いの「大切戸」だと伝わる場所が米子市や境港市などにある。

 

 

米子市大篠津町の外浜街道沿いに鎮座する「和田御崎神社」の辺りが大切戸だとされる。

 

 

その裏にある「御崎の森さん」と呼ばれる2,500平方メートルほどの小さな森に「和田の大切戸」の御崎(半島)の神を祭った元々の和田御崎神社が鎮座していたと伝わる。

 

 

鬱蒼と茂る森の中は、昼でも薄暗い静謐な空間。

 

 

社殿の右奥に泉があり、そこから流れ出る清水は霊水とされる。

 

 

心の汚れている者がこの水を口に含むとたちまちのうちに祟りに見舞われると伝わっている。

 

この小さな鎮守の森は外周が土手で囲まれたカルデラのようになっており、森の真ん中が泉から溢れた霊水で沼地になっている。

 

 

昔、6月には菖蒲が咲き誇り、遠方からも見物客が詰めかけたという。

 

 

草が枯れる冬に訪れると沼地の様子が把握できる。

 

 

しかし現在、森は荒れ放題で中を一回りすることも躊躇する有様。水も涸れているように見えた。

 

 

弓浜半島では和田御崎神社元宮の他にもあちらこちらでオアシスのような沼地が見られる。

 

 

これは土中に存在する淡水レンズによるもので、弓浜半島は昭和初期に日本で初めてその存在が確認された場所。

 

 

今でも少し掘れば真水が湧出するため、綿花やサツマイモ、白ネギなどの栽培が盛ん。

 

以上、前編おわり。

 

後編につづく