1963(昭和三八)年2月完成の二代目米子駅舎(鉄筋コンクリート6階建・延床面積8,200平方メートル)。
総工費3億5,000万円は、現在の消費者物価指数に換算すると14億7,000万円相当。
国鉄時代は米子鉄道管理局、民営化後はJR西日本米子支社として使用された局舎と駅舎を兼ねた大ビルディング。
鉄道のまち米子の顔。
民営化時点で30局あった総局・管理局の庁舎は、建替えや再開発などで次々と姿を消してしまった。
この米子駅舎(局舎)は旧国鉄時代の雰囲気を残す貴重な遺産。
しかし、南北一体化事業に伴い、本年9月4日を以て、駅舎としての57年間に亘る営業を終了した。
なお、1962(昭和三七)年より営業を続けてきた駅プラザ2階、食事処グリル大山は2017(平成二九)年9月末日19時を以て閉店していた。
駅舎コンコース最後の一般公開が、10月29日~11月3日の期間に実施された。
その最終日に米子駅を訪ねた。
すべり込みセーフ!!
1902年開業の初代駅舎から現在の二代目駅舎の写真パネル57点や新駅舎完成予想図、年表などが展示されていた。
米子驛年表
1902(明治三五)年11月1日、初代米子駅開業
・御来屋-米子-境(境港)が開通。1日4往復。当時の運賃は二等席32銭、三等席18銭。当時、米1升(1.5kg)が10銭。山陰線は在来線として最長の673.3km。
1908(明治四一)年4月5日、米子-安来間開通によって、米子駅は分岐駅となる
1963(昭和三八)年3月、二代目米子駅開業
・米子鉄道管理局が併設された6階建てにビルが開業。当時、高い建物はなく、巨大な駅舎は遠くからも見え、米子のランドマークだった。
1982(昭和五七)年7月1日、伯備線全線電化
・特急やくも号を利用して米子~岡山間を2時間30分で結ぶ。新大阪まで3時間30分。関西がぐっと近くなった。
1987(昭和六二)年4月1日、国鉄分割・民営化
・JR西日本が発足、JR米子駅となる。又、貨物はJR貨物米子駅へ
2000(平成一二)年10月6日、鳥取県西部地震発生
2003(平成一五)年10月1日、米子~鳥取間高速化工事完成
2005(平成一七)年3月17日、当駅の愛称「ねずみ男駅」の使用を開始
・境線(米子~境港)の妖怪路線化(観光路線化)の一環
2011(平成二三)年3月24日、バリアフリー化工事完成
・エスカレーター、エレベーター、多目的トイレ設置。
2015(平成二七)年4月1日、JR貨物米子駅廃止
・貨物の取扱い終了。貨物業務は伯耆大山駅へ
2016(平成二八)年11月5日、12月17日、自動改札機の利用開始。ICカード「ICOCA」利用開始
立入可能なのは改札前のコンコースのみ。
壁面のタイル、捨てるんやったらちょうだい!!
グリル大山があった2階へ続く階段も閉鎖。
階段手すりに設置されたプラスチックパネル。
JU米子高島屋で再利用できそうな薔薇模様。
人通りが絶えたガランとしたコンコースは、静かに最期の時を迎えようとしている。
目を瞑って回想すると、旅行者や通勤・通学客が行き交い活気にあふれていた少し前のちょっとだけ懐かしい風景が甦る。
コンコース正面、改札上に設けられた大山の壁画について特に言及が無く、ビルと共に解体される!?
発車する特急やくもに手を振る子供や通学に利用する学生の姿。
大雪による倒竹で足止めされた特急やくもと利用客。
かつてコンコース右手には、JR西日本の小売・流通子会社が運営するキオスクやコンビニエンスストアのハート・インなどがあった。
キオスク跡は、顔ハメや大雪で枯死した潮止の松で作られたベンチなどの展示スペースとして利用。
コンビニ跡には、待合室が設けられた。
米子駅、夜明け前。
昼下がりの米子駅。
雪の米子駅。
スーパー戦隊シリーズ第一号『秘密戦隊ゴレンジャー』の1976(昭和五一)年1月31日放送、第38話「青い断崖!悪魔の海賊宝さがし」では、当時の国鉄米子駅でロケ撮影が実施された。
撮影は44年も前だが、駅舎の姿は現在とほぼ変わっていない。
2017(平成二九)年10月16日にTBS系で放送された西村京太郎サスペンス 十津川警部シリーズ4「愛と裏切りの伯備線」にも米子駅が登場している。
再開発により現在の駅舎は解体されるが、その姿は映像作品の中に生き続ける。
米子市明治町のJR米子駅前を起点に、同加茂町国道9号及び鳥取県道47号米子境港線交点を終点とする延長0.7キロメートルの鳥取県道28号米子停車場線。
少し離れた終点側から見る米子駅が米子の景色マイ・ベストワン。
異論は認めますが譲りません。
鳥取県道・島根県道102号米子広瀬線の向こうに見える米子駅の全景も良景。
米子駅舎に入居していた米子支社は、隣接する旧印刷センタービル跡地に建設される新支社ビルに移転する。
通常、一般立入禁止の米子支社ビル内だが、2013(平成二五)年11月に米子市企画部地域政策課※当時が実施した「鉄道のまち米子・鉄のモニターツアー」に参加した際に入ることが出来た。
駅長さんにアテンドしていただいた特別なツアー。
そして主催者である市の職員の皆さんも興奮気味にかぶりつきで見たのがこの景色。
支社ビル解体で二度と見ることが出来ないスペシャルな光景。
支社ビル解体により、もう二度と見ることが出来ない景色が見られたのは幸運の極み。
支社ビル内。
階段グルグル。
今後、駅舎の3分の2を解体し、その跡地に歩行者と自転車が通れる延長約130メートルの自由通路を整備、加えて駅ビルなどが建設される。
自由通路が設けられるのはこの辺りか!?
JR西日本の商号や米子支社の標示板などは、新支社ビルに利用されるのか?
もし、捨てるんやったらボクにちょうだい(笑)
そして外壁に使用されているタイル。
いらんのやったらボクにちょうだい(笑)
本年9月5日より駅業務は仮駅舎に移っている。
ずいぶんと寂しい様子だが、この景色は新駅ビル完成までの期間限定。
必ず懐かしいと思う日が来るから、みんなこっちも撮っておけ。
駅舎の解体工事の着工は少し先になる模様。
外観はもう少しだけ見られる。
新駅舎は2023(令和五)年春に開業予定。当初の計画では、新駅ビルは4階建で、JRグループに加え3~4階に米子市や鳥取県などの行政施設が入居予定だったが、それらは見送られた模様。新たな計画では、駅ビルは2階建で、土産物店などが入店を予定しているという。
最後に時代を表した米子駅の一枚。
米子駅と岡村帆奈美アナウンサー(元 山陰放送アナウンサー、現 テレビ神奈川アナウンサー)。