岡山県内有数の心霊スポットに挙げられる旧志戸坂隧道は、1935(昭和10)年開通、旧国道373号上に位置する。
岡山県英田郡西粟倉村坂根と鳥取県八頭郡智頭町駒帰を結んでいたが、1981(昭和56)年志戸坂トンネルが開通したことに伴い国道は廃止、トンネルは閉鎖された。
インターネット上では、白装束の女性の霊や老婆の霊、事故死した家族の霊が出没したり、黒い影が襲ってくるなどの噂が流布されている。
志戸坂峠は、文化庁の『歴史の道百選』「智頭往来―志戸坂峠越」に選定されている。
また、剣豪宮本武蔵ゆかりの地。
トンネル手前には志戸坂公園が整備されており、そこの便所に入ると黒い人影が襲ってくるという。
なお昼時には、ここが近隣の工事関係者の休憩場所となっているようで、人口密度が高い。
公園内に「歴史の道百選 志戸坂峠道」の石碑が建立されている。
由緒書看板。
志戸坂峠道
鳥取県鳥取城下から智頭を経て志戸坂峠を越え、岡山県西粟倉村坂根、大原町古町を経由して釜坂峠から兵庫県へ抜ける道が因幡街道と呼ばれています。志戸坂峠は、因幡街道の大原と智頭の間、ちょうど国境(現在の岡山県、鳥取県境)の部分であり、三十三曲りと呼ばれるように非常に嶮しく、また冬は雪が深く、牛馬も通わなかったようである。
平安時代は律令政府が定めた国司通行の官道であり、江戸時代には参勤交代の要道であり非常によく利用された道である。
けれども、これほどの難所でありながら前述のように因幡街道は交通の要所であったため人々の往来が絶えることはなかった。
平安時代には鹿跡御坂(ししとみさか)、江戸時代には人見坂(ひとみさか)と呼ばれた。また因幡の村人は、道が嶮しくて馬も引き返すことから駒帰坂(こまがえりざか)、また別の者は、都へ上り志を立てる縁起坂として志都坂(しとさか)と呼んだ。また、この峠の麓の坂根は、因幡街道の宿駅であり、国司、平時範公はここに仮宿していることから峠越に備えての要所であったことが伺える。同時に、志戸坂峠が因幡街道の喉もとに当たる交通の要所であったなごりお今にのこしている。
このように、志戸坂峠は東西、南北方向につながる極めて重要な道として「人と人」そして「物や文化」をつなげ、伝えてきた日本の自然の大遺産であるといえる。
以上、全文転載。
トンネル閉鎖後、その内部に人影が見られるという噂が絶えない。
本当なのか?
トンネルは公園の先。
ゆるいカーブの先にそれはあった。
フェンスで封鎖されている。
閉鎖後のトンネルは地元町村が管理しており、西粟倉村側では椎茸を栽培、智頭町側では幻の漬物といわれる板井原ごうこの生産場として再利用されていることから人の出入りがあるというのが真相。
巷間言われている人影は幽霊の類ではない。結論として心霊スポットに非ず。
夜は知らんけど。
くれぐれも無断侵入はやめよう。
捕まるよ、マジで。
◆諸元
名称:旧志戸坂隧道
所在地:岡山県英田郡西粟倉村坂根
全長:565.0m
幅:5.4m
高さ:高さ4.0m
開通年:1935(昭和10)年
閉鎖年:1981(昭和56)年
●アクセス
鉄道・バス:智頭急行智頭線あわくら温泉駅下車約3km徒歩40分
自動車:鳥取自動車道(中国横断自動車道)・志度坂道路坂根交差点より大茅方面へ約5分