昼でも薄暗い鬱蒼と茂る森の中にひっそりと佇む小さな祠。

 

 

以下、ジャガーバックス『怪奇!日本ミステリー図鑑』(1983年発行)より。

 

60.八反坊の呪いで一族全めつ 無実の罪で殺された八反坊のたたりで次郎丸家がほろぶ ≪岡山県〔原文ママ〕

 

 広島県東城町の粟田川上流にある丘の森には、八反坊の呪いのホコラが、今なおひっそりとまつられている。ひそかに五寸釘を森の木にうちこんで、八反坊にお願いすれば、にくい相手を呪いの魔力でいためつけることができるという恐ろしいホコラだ。

 江戸時代のこと。この地方に八反坊という情け深い人がいた。しかし、欲深な金持ちの次郎丸家は、村人から次々と土地をとりあげ、ついでに八反坊にあらぬ罪をきせて、処刑したのだ。そのとき、八反坊は次郎丸家をすべて呪い殺してやると遺言。はたして、次郎丸家の一族がすべて全めつしたため、八反坊のほこらができたという。

 

以上、全文転載。

 

八反坊の祠建立後、次郎丸家では怪死者が相次ぎ、昭和の初めに最後の一人が落雷で死亡、一族は断絶。

 

 

祠が見つめる先、次郎丸家の広大な屋敷は荒野と化したという。

 

 

この逸話から一時期、同祠に呪詛成就を願い訪れる者が相次いだというが、元来、八反坊は弱者の味方。祠は地元の人達から大切にされ、八反坊は大願成就の神として丁重にお祀りされている。

 

祠がある庄原市東城町は、広島県の北東隅に位置し、岡山県新見市と高梁市、鳥取県日南町と隣接する。

 

 

粟田川によって形成された河岸段丘の上、祠が建つ「東城ふれあい村」は、おもしろ遊具や複数面のゲートボール場を有する運動公園。

 

 

三次もののけミュージアムから距離56キロメートル・一般道経由、所用時間約75分。

 

訪れた当日、ゲートボール大会が開催され駐車場は満車、大会に出場した高齢者で大盛況。

 

 

八反坊まで「徒歩で150m ゆっくり歩いても150mだよ」

 

 

ユーモアあふれるこの表現は・・・

 

「歩いて5分、走って2分、ケンケンして7分、はいずりまわって30分」

 

ありがとう浜村淳やがな(汗)

 

 

八反坊

 

江戸時代の初め、粟田に八反坊という人が住んでいました。八反坊は年貢の割り当てや取り立てに当たっていた公事人といわれ、弱い百姓が分限者からいじめらているようなことがあると、いつも弱い人達の味方して助けていましたので、百姓たちから慕われていました。ところが反対に分限者たちからは嫌われ、何とかして亡きものにしようと、あるとき、無実の罪をでつちあげ庄屋に訴えました。庄屋もまた八反坊を快く思っていなかったので、ある日、ありもせぬ罪を着せて獄に入れ、村人を扇動せぬよう身を慎むよう迫りましたが、八反坊は聞き入れず、ついに餓死しました。

百姓達は、情深く、義に厚く、村人に慕われていた八反坊の遺言どおり、庄屋の家のよく見えるこの地に、ていねいに葬りました。それから庄屋にはよくないことが続き、絶えてしまったということです。

その後、お墓の上に祠が建てられ「八反坊」と呼んで、地元の人達が毎年お祭りを続けています。

一時期「のろい」の神として恐れられていた時もありましたが、今は事業の成功、病気の全快、その他困っている人達を助けて願いが成就することから、大願成就の神様として多くの人に親しまれています。

 

以上、由来書き全文転載。

 

150メートルの道中、八反坊への愛情溢れる道案内の標が、要所要所に建てられているので迷わず辿りつける。

 

 

なお、斜面は滑りやすいのでケンケンは危険。

 

 

また、直下にゲートボール場、斜面のすぐ下に民家が数軒建ち並んでいるため、怖いと感じるようなことはない。

 

 

でっかい謎のキノコも生えている。

 

 

『怪奇!日本ミステリー図鑑』発刊当初の祠周辺の様子がどうであったのか知る由もないが、現在、八反坊の祠周辺は手入れが行き届いており、それらしいフンイキはあるが、同書で感じた恐ろしい呪いの祠といった印象とは異なる。

 

◆概要

名称:八反坊神社

鎮座地:広島県庄原市東城町粟田3573

御祭神:八反坊

祭礼日:

ホームページ:

アクセス:中国自動車道東城インターチェンジより7.5キロメートル・自動車12分

 

◆参考文献
ジャガーバックス 『怪奇!日本ミステリー図鑑』 写真でみる怪奇100 佐藤有文 著 立風書房 発行