店主は現在、岡山県倉敷市在住。

 

岡山県倉敷市は県南部に位置し、47万6千人あまりの中国地方で3番目の人口を有する中核市で、過去、合併と編入を繰り返し、現在の市勢となる。

 

1928(昭和三)年4月1日市制施行開始。1967(昭和四二)年2月1日倉敷市・児島市・玉島市が合併、現行の倉敷市(二代目)発足。1971(昭和四六)年3月8日庄村編入。昭和四七年5月1日茶屋町編入。2005(平成一七)年8月1日船穂町・真備町編入。

 

市内に於いて人口および面積規模の大きい倉敷・水島・玉島・児島を「地域」、それらが小さい庄・茶屋町・船穂・真備を「地区」と呼称。市内を4地域4地区に分類して街づくりの方針を掲げている。なお、倉敷と水島が旧倉敷市域に相当し、それ以外の各支所管内が旧自治体域に相当する。

 

行政と観光の倉敷。

 

 

重工業の水島。

 

 

ジーンズ・学生服の児島。

 

 

貿易港と新幹線駅の玉島で、それぞれ地理や歴史、イメージが異なる多彩な地域で構成されている。

 

市内の地形は、児島地域を除いて比較的平坦で、平野の多くは塩田干拓地や沖積平野で占められる。水島・玉島・児島・連島・乙島など「島」の付く地名が多いのは、付近一帯が干拓される以前には島であった名残で、それらが陸続きとなって現在の市域が形成された。

 

 

拙宅があるのは児島地域。ここに住まいを定めた理由は、家賃や広さのほか、地の利や環境。本四備讃線(通称:瀬戸大橋線)の駅や本州四国連絡道路のインターチェンジが最寄にあるので、岡山市の中心市街地や香川県高松市の中心市街地、四国各地や山陰へのアクセスが容易なこと。それに加え、風光明媚で名勝旧跡なども多くあるという点。

 

 

なお、日々、想像以上に多忙につき、満身創痍で帰宅。通勤時の立ち寄りや帰宅後の外出、休日に出かける余裕がないため、まずは自宅周辺から少しずつ訪れて紹介する予定。

 

◆参考資料

倉敷市公式ホームページ