旧暦の十五夜に遭遇した夜行神事。

 

 

「夜行」というのは、もともと神祭りに際して、普通の人には見せない、深夜の神のお出ましを指すものだったらしく、節分や大晦日など、特定の祭りに関係する物忌みの時期だった。※1

 

鳥取県西部に位置する大山町宮内に鎮座する高杉神社に伝わる奇祭「うわなり神事」は、同社に保存されている伝記並びに鳥取県神社誌などの記録によって、室町時代から行われていたと考えられています。

 

 

研究者によると、祭りの起こりは400年代の出来事に遡るとされます。雄略天皇の頃、氏子に災厄が多発する理由を神に尋ねたところ、宮内地区近傍に滞在したと伝わる孝霊天皇の第二夫人松媛命と第三夫人千代媛命の二人の霊が、正妻の細媛命(くわしひめのみこと)の存在を嫉んでいることが原因だとのご託宣があったといいます。

 

一の御前社を正妻細媛命(本殿/もとどの)、二の御前社を松媛命(中殿/なかどの)、三の御前社を千代媛命(末殿/うらどの)として、三人の霊を社に祭り、祭日には三人の媛君の葛藤の有様を「嫐打ちの神事」として斎行したところ神慮が和らいだせいか、以後、災厄はぴたりと治まったとされます。終戦後は一時中断していましたが、その間集落内に凶事が相次いだため、氏子たちで会い図り、4年に一度、うるう年の旧暦9月15日深夜に執り行なわれるようになりました。

 

毎年例祭の際、氏子中より輪番制で3人ずつの「打神(霊代人)」を選出、依巫(よりまし)として打神は神懸り状態となり、打杖(うちじろ)で互いに打ち合います。

 

 

打神に選出された者は、例祭月(旧暦9月)になると物忌みをします。また、別の氏子中より輪番制で1人の「〆曳(下神主)」を選出し、社頭の装飾調度品の調達ならびに神職の助手を務めます。

 

当日の朝、打神役は清めの儀式を行った後、帰宅し夜の神祭を待ちます。

 

夜11時頃、氏子中に拍子木によって神事の開始が知らされると氏子は神社に参集し、神職の指示で各々が所定の任に就きます。〆曳は打神を連れて神社に参進。

 

照明を落とされた暗がりの中、神前で斎主によるお祓いの後、神懸り状態になり、頃合いを見て、本殿、中殿、末殿を順に介添え人に護られて、50m離れた小川で体を清める「水垢離」の儀が行われます。

 

 

一旦社殿に戻った後、神幸行列に護られながら境内に設けられた神事場へと向かいます。

 

 

神事場で斎主の指示により「投げ杯」、「打代渡し」の儀を行ない、再び社殿に戻ります。

 

社殿で打代の「締め直し」の儀を行っている間、神事場では神楽奏しながら東西南北の「清祓奉幣」の儀が行われます。そして再び打神等が神事場に来て、最後の「打ち合い式」が行われます。

 

 

打神は介護人に護られながら、三方に分かれて打ち合いの準備。斎主はその完了を見計らって、声高に神賀詞(祝詞)を奉奏。斎主が大音声にて「今宵の神事潔し」の奉奏と同時に三方より進み出て打ち合いになります。斎主が「本殿の勝ち」と宣告。ひと際興奮状態となった打神を介護人は素早く社殿へと誘導。

 

 

社殿では神楽の奉奏が開始され、その音曲を聞いた打神は神懸りの状態を脱します。

 

平常心に返った打神たちは服装を整えた後、神饌物(御飯)を参拝人に配布します。

 

 

これを戴くと無病息災といわれており、参拝者はそれを手に家路に付きます。

 

 

そして鎮守の森には、再び静寂が訪れました。

 

次回の神事は、新東京五輪が開催される2020年の旧暦9月です。

 

◆参考資料

「高杉神社に伝わる奇祭「嫐神事」」 宮内村づくり推進委員会 編・発行

『山陰の神々 古社を訪ねて』 今井出版 発行 

『決定版 日本妖怪大全 妖怪・あの世・神様』 水木しげる 著 講談社 発行

 

※1『決定版 日本妖怪大全 妖怪・神様・あの世』より「夜行さん」水木しげる著、講談社発行から転載