百貨店建築として、日本で初めて国の重要文化財に指定された日本橋タカシマヤ(髙島屋日本橋店)。
中央通りに面して立つ重厚なファサードは日本橋の顔であり、また同社、全国19店舗の旗艦店としての威容を誇っています。
高島屋日本橋店は当初「日本生命館」と呼ばれていたように、日本生命の主導で、高島屋が営業することを前提として建設されました。建物は鉄骨鉄筋コンクリート造りで、規模は地上八階・地下二階(一部三階)、建築面積九三六.七九六坪、延面積八八八六.八〇一坪。
1930(昭和五)年1月27日に開催された第一回日本生命館建築会には、日本生命、高島屋両社の幹部のほか、建築家側から、当時、日本の建築界をリードした、伊東忠太、武田五一、塚本靖、佐藤功一が集まりました。そこで、エレヴェーション(立面図)の公募について検討され、高島屋の建築顧問であった岡田信一郎に具体的な案をつくることを委嘱しています。この会合には、日本生命側から、取締役を務めていた建築家の片岡安も出席しています。
その結果、立面図を求めるコンペが実施されることになり、同年3月にその内容が発表、4月30日に応募が締め切られ、実際に建設する案を決定しています。審査員は、伊東忠太、片岡安、佐藤功一、武田五一、塚本靖でした。390の応募の中から選ばれたのは、高橋貞太郎の案で、実施案作成にあたっては、片岡安が顧問となり、前田健二郎が協力者として加わっています。
コンペの規定に「東洋趣味ヲ基調トスル現代建築ノ創案ニ努メタルモノハ之ヲ重視ス」と記されていたことから、西洋の歴史様式に基づいた意匠に、東洋趣味や日本の伝統を強く意識しデザインの融合をみられます。
高橋による外部は、三層構成で、基部にあたる1・2階は、花崗岩を張った仕上で、角柱による列柱をコニースでつなぎ、さらに、装飾的なバルコニー、持走を加えています。3階から7階の一般階は、柱間を三分割した開口を大きく穿ち、上部では張出の大きい二段の軒蛇腹とそれに挟まれた最上階が、間口約65メートル、高さ約30メートルの巨大な量塊を引き締めています。
当初、現在の街区の中央通りに面した三分の一が竣工。その後1937(昭和一二)年には三分の二まで増築する計画を高橋が担いましたが、地下1・2階まで工事が進められたところで、日中戦争勃発により工事中止を余儀なくされました。
太平洋戦争後、予め一体的に計画されていたと考えられる増築が村野藤吾の手によって実施されました。
店舗北側面を見ると、増築の歴史を垣間見ることができます。
これまでは細い路地を隔てて、同店とほぼ相当する高さのビルが建っていたため、狭い路地の端から見上げて確認できるぐらいで、如何せん見難かった。
ところが、再開発事業のおかげで、こうして全景を見ることが可能です。ただし、地上31階・高さ180mの超高層ビルの建設工事が始まるまでの期間限定です。興味がある方は、お早めにご覧ください。
1950(昭和二五)年5月、タイからメスの子象が日本橋高島屋の屋上遊園にやってきました。この当時、象は上野動物園にもいなかったことから大きなニュースにとなりました。子象「高島屋」から「高子」と名付けられ、たちまち子どもたちのアイドルとなりました。檻のそばには飼育係が付き、見物客が直接エサをやることもできたそうで、子どもたちだけでなく、カップルたちのデートスポットとしても人気があったということです。
高子が4歳となった1954(昭和二九)年、大きく成長したことから上野動物園に移されることになりました。この時、屋上から中央階段を使い、歩いて1階まで移動しましたが、輸送用の檻を見た高子は、慣れ親しんだ我が家から離れることを嫌がって暴れ回り、ショーケースを壊したという逸話も残っています。
なお、高子は1958()昭和三三)年には、上野動物園から多摩動物公園へと移り、1990(平成二)年、42歳でこの世を去っています。
現在、高子が居たという痕跡は屋上には残っていませんが、下の画像、左上をご覧ください。
村野により象を模した塔屋が設けられており、人気者だった子象の高子が居た往時を偲ぶことができます。
また、村野は増築部分の南・東面に大量のガラスブロックを用いて壁を覆い、近代的な表情に仕上げて旧館との対比を鮮明にしています。
反面、7・8階の部分には旧館の意匠を用いており、前面から水平のラインで継続し、一体感を持たせているため大きな違和感を持たせません。伝統を守りながらも流行の先端を追う、という百貨店らしさを表現しているように思える建物です。
◇データー(2011年度)
名称=高島屋日本橋店
所在地=中央区日本橋2丁目4番1号
TEL=03-3211-4111
営業時間=10時~20時※レストラン街は11時~21時30分
店休日=元日
売場=B2~8/RF
売場面積=50,508平方メートル
年商=1270.9億円
6/221(11年度百貨店店舗別売上ランキング)
設計【竣工】=高橋貞太郎・片岡安・前田健二郎
設計【増築】=村野藤吾
施工=大林組
竣工=1933(昭和八)年
増築=1952(昭和二七)年[1期]/1954(昭和二九)年[2期]/1963(昭和三八)年[3期]/1965(昭和四〇)年[4期]/1973(昭和四八)年[茶室]
規模=地上8階・地下2階(一部3階)・塔屋3階
構造=SRC造
参考文献
『高島屋135年史』 高島屋135年史編集委員会 編 株式会社高島屋 発行
「月刊 文化財」平成21年7月号 文化庁文化財部 監修 第一法規 発行 より “高島屋の建物がなぜ重要文化財に指定されるのか 初田亨”、“[近代・商業・業務業] 高島屋東京店”
『近代建築ガイドブック [関東編]』 東京建築探偵団 著 鹿島出版会 発行
『村野藤吾建築案内』 村野藤吾研究会 編 TOTO出版 発行
『胸騒ぎのデパート』 寺坂直毅 著 東京書籍 発行
『昭和ノスタルジック百貨店』 オフィス三銃士編 ミリオン出版 発行
『日経MJトレンド情報源2013』 日経MJ(流通新聞)編 日本経済新聞出版社 発行