見上げれば、今にも飛び出してきそうな龍。
咄嗟に身構えてしまうほどの迫力。彫刻でありながら、まるで生きているかのようなリアルさに圧倒されてしまいます。
芸術のセンスあふれる琴浦ツウのお二方に教えていただいた、琴浦の見どころ「神崎神社」。地元では「荒神さん」の通称で親しまれており、むしろその名の方が有名かもしれません。
三宝荒神 神崎神社(通称・荒神さん)
創建は定かではないが、現存する最古の棟札は、元禄十五年(1702年)である。
家内安全、海上安全、牛馬の守護神として、地元はもとより島根、岡山、広島方面などにも多くの崇敬者があった。旧暦の毎月二十八日には、種・苗・農具の市がたち、かつては二月の「雛荒神」には、臨時列車が運行され多くの参拝者で賑わった。
また、毎年七月二十八日の例祭「夏祭り」(波止のまつり)は、大漁旗がなびく船御幸が勇壮である。
鎮座地 鳥取県東伯郡琴浦町赤﨑二一〇
御祭神 素戔嗚命(スサノオノミコト)
例祭日 七月二十八日(二十七日宵・前夜祭)
本殿 [昭和二十七年 鳥取県指定保護文化財第一号]
嘉永六年(1853年)鳥取藩お抱え宮大工・小倉園三郎により竣工
≪特徴≫方二間の権現造(通称・八ツ棟造)で総欅造、唐破風、屋根下、木鼻の彫刻~菊・龍・葡萄とリス・鳳凰・象・蝶・楓・大根と鼠など~
拝殿の扉・向拝天井の龍の彫刻他 [昭和二十七年 鳥取県指定保護文化財第二号]
明治十二年(1879年)宮大工・小倉平次郎(小倉園三郎孫)等により竣工
≪特徴≫豪快な刀法で彫られた天井の龍、木鼻の唐獅子牡丹、竜宮城の彫刻がある
その他 「県民の建物一〇〇選」にも選ばれている。
以上、同社リーフレットより転載。
塩谷定好写真記念館のほぼ真裏に当たります。
記念館の左右どちらの階段からも参拝が可能です。
足元に・・・!!
右扉・神功皇后、牡丹
向拝柱の唐獅子と牡丹・右柱
向拝頭貫・浦島太郎
向拝頭貫・乙姫様
向拝頭貫・竜宮城
龍が顎の下に握っている珠は「幸せの玉」と呼ばれているそうです。
「龍」は河川や湖沼、海に棲むものとされ、日本全国にその伝説が残っている妖怪です。妖怪というよりは「龍神」として、「海神」や「水神」の一種と考えられています。また「龍宮さま」とも呼ばれ、信仰の対象となっています。
「龍」は古代中国で発生したものといわれ、紀元前5000年の新石器時代の遺跡から、「龍」と思われる文様が発見されています。漢の時代には「龍」に雨乞いの祈祷をしたという記録があり、その頃から、すでに「水神」としての性質をもっていたということが考えられます。また中国では、皇帝のシンボルとされました。
日本へは弥生時代には伝わっていたようで、中国から渡来した「龍」に日本古来の「蛇神信仰」や「水神信仰」が結びついたと考えられています。江戸時代前期から中期に成立した『和漢三才図絵』には、中国の薬学書『本草綱目(ほんぞうこうもく)』には「龍」の姿をこう記しています。
頭は駱駝(らくだ)、角は鹿、眼は鬼、耳は牛、項(うなじ)は蛇、腹は大蛇(蜃)、鱗は鯉、爪は鷹、掌は虎に似ているとしています。声は銅鑼を打ったような音に似ており、口髭があり、龍の81枚の鱗のうち、喉元に一枚だけ逆さになった一尺(約33㎝)四方の鱗があるといいいます。この鱗のことを「逆鱗(げきりん)」といい、普段は人に危害を加えることのない龍もこれに触られると激しく怒り、触れたものの命を即座に奪うとされています。
このことから、帝王(主君)の「激怒」を呼ぶ行為を指して「逆鱗に嬰(ふ)れる」と比喩されました。現代では目上の人物の「激怒を買う行為」を指すようになり、「激怒」そのものを指す言葉として用いられています。
「龍」は怒らせると怖いですが、本来はありがたい神獣、あるいは神の化身、神そのものともいえます。
●お問合せ 琴浦町観光協会 TEL0858-55-7811 FAX0858-55-7558
※注意
一、近くに大型バスでの乗降、駐車、又は大気のスペースがありません。事前に観光協会にご連絡ください。
二、カーナビ使用の場合は、赤碕小学校(TEL0858-55-0506)を設定してお越しください。