鳥取県中部に位置する琴浦町篦津(のつ)にある、国指定重要文化財「河本家住宅」。
同住宅は年二回、春と秋にそれぞれ1週間、一般に特別公開が実施されます。
「河本家住宅」は、平成10年度に「県民の建物百選」に選定されています。
河本家の由緒と歴史
河本家が赤碕に居住するようになったのは、尼子氏の重臣であった河本弥兵衛隆任が月山城の落城の際に落ち延びて来てからで、元亀二年(一五七一)の頃である。
元和三年(一六一七)、二代目の助次郎の時に江戸の名僧霊巌上人が赤崎村に巡錫して来た際、助次郎は上人に寺を建立することを誓願し、専弥寺を建てた。以来、河本家は専弥寺の檀家総代を勤めている。
その後、松江城主の堀尾家が三代忠晴の時に絶家になった頃のこと、初代吉晴の孫の菊姫がやって来て、三代目の長兵衛の妻となった。菊姫と長兵衛とは血縁関係にあったのである。幸い二人の男の子が生まれたので、長男に堀尾姓を名乗らせ、二男の甚右衛門に河本家を継がせた。
その頃、明暦三年(一六五七)に江戸で大火事が起こり、鳥取藩の藩邸も焼けてしまったため、鳥取藩は堀尾長兵衛に材木の調達を命じた。長兵衛は和泉国堺から大型の船を購入してその任務に当たり、甚右衛門も兄の仕事を助けた。この時に菊港が大幅に改修された。現在の「菊港」の呼び名はそのゆかりからである。
河本家が赤碕から篦津に移って来たのは五代目の弥三右衛門の時で、寛文年間(一六七〇年頃)のことである。以来、公儀の大庄屋の仕事を代々勤め、八橋郡の地方行政の中心的な役割を果たすと共に、豪農としての地歩を築いてきた。
幕末になって海岸整備が厳重となり、赤碕にも砲台が備えられると、その取締役を命じられた通繕は、自ら砲術の習得にも努めた。幕末の鳥取藩主の池田慶徳は、地方巡視の際に河本家に立ち寄って休憩をしたりしている。
以上、「国指定重要文化財 河本家住宅」リーフレットより転載。
堀尾長兵衛やその弟甚右衛門が改修に関わったとさえる菊港(琴浦町赤碕)。
ハの字型に築かれた「菊港の東堤・西堤」は、2010年に「土木學會選奨土木遺産」に指定されています。
300年以上の歴史という風格を纏った姿には、感嘆の声しかありません。
屋根は三十年に一度葺き替えられるということです。直近で葺き替えた際には、その材量は秋田県の十和田から取り寄せられたものだということです。また、屋根に厚みがあるため、傷みが少ない部分については、再利用されるということでした。
河本家住宅の特色
国指定重要文化財となった河本家住宅は、昭和五十三年度の屋根葺替えの際に、棟札の調査で貞享五年(一六八八)の建築と分かった。当時の当主は五代目の弥三右衛門で、篦津に移って来てから約二十年後のことである。
現在は変形六間取りとなっているが、もとは広間型五間取りであったと思われる。屋根は茅葺きで箱棟が乗っており、小屋組みは合掌作りである。また、炊事場の竃の上を土壁で覆った煙返しは、防火施設としては珍しいものである。
以上、「国指定重要文化財 河本家住宅」リーフレットより転載。
主屋正面入り口を入ると中庭と呼ばれる土間があり、その奥に炊事場があります。
竃の上を覆った土壁は、長年煙で燻されたため真っ黒になっています。
これは「煙返し」というもので、火の粉が舞い上り、屋根裏に延焼しないためのものだということです。囲炉裏の上に火の粉除けとして架ける「天棚」とか「火棚」と呼ぶものと同じ役割を果たすための設備で、非常に珍しいものだということです。
竹製の天棚も架けられています。長年燻され黒く煤けた竹は、茶道具の素材として値千金、高額で取引されると聞いた覚えがあります。
炊事場の裏に井戸があります。
またそれぞれの用途に合わせた蔵が何棟もあります。
主屋の中庭から上り奥へ進むと、みせ、仏間、玄関の間と続き、次の間、客間へと至ります。
次の間と客間の間の欄間。
閑雅な牡丹が彩っています。
次の間から見るお庭。
主屋の一番奥に位置する客間。
この奥に、後年増築された瓦葺きの離れがあります。
篦津の大庄屋
篦津(のつ)は赤碕町の西、海からほど近い田園地帯に位置する。国道9号線の南を走る旧街道は篦津の集落を東西に通り、家々は旧街道に沿って立ち並ぶ。その集落の西にある河本家は、江戸時代には代々大庄屋をつとめた旧家である。この建物は四代目当主による普請と伝えられることから、万治元年(1658年)以前のものと考えられている。
現在は主屋の左手に瓦葺の客間が増築され、変形型六間取となっているが、元は「広間型三列五間取」であった。屋根の線はのびのびとしていて安定感を与える。内部は台所に2つの大かまどがしつらえてあり、何十人もの人が集まっても炊き出しができるようになっている。また、かまどの上を覆うように泥を塗り込めた天井は防火措置としては他に見ることができない珍しいものである。
所在地 東伯郡赤碕町篦津
建設年 万治元年(1658年)
構 造 木造
指 定 県指定保護文化財
※データーは出版当時(1998年2月1日)のものです。
以上、『とっとり建築探訪 県民の建物百選』より全文転載。
「河本家住宅」は、国道9号から一本山側を東西に走る古い街道沿いにあります。
この街道は、現在の「鳥取県道278号下市中山停車場線」です。
東(鳥取市)方面から国道9号を利用する場合、勝田川を越えた先にある「←篦津駐在所」の看板に従い左折、突き当たりを右折、道なりに進み県道278号に合流し、左折後スグです。西(米子方面)から国道9号を利用する場合、左手に「源内鉄工所」もしくは、右手に「整体ルームながた」の看板が見えたところで右折してください。いずれも右折レーンや信号などがありませんので、お気をつけください。
山陰道を利用の場合、赤碕中山ICで流出、最初の信号を右折、鳥取県道278号下市中山停車場線沿いにあります。このルートが一番分かりやすく、迷うことがないでしょう。
ルートによっては、古い集落の中を通る場合がありますので、くれぐれも運転にはお気をつけください。
◇参考文献
「国指定重要文化財 河本家住宅」リーフレット
『とっとり建築探訪 県民の建物百選』 社団法人鳥取県建築士会 発行
◇データー
名称:河本家住宅
所在地:鳥取県東伯郡琴浦町篦津393
文化財史跡区分:国指定重要文化財(平成22年12月24日指定)
アクセス:JR赤碕駅から車で5分
問合せ:琴浦町教育委員会社会教育課
でんわ:0858-52-1161
公開:春秋2回
入場料:300円(※中学生以下無料)
公開時間10:00~16:00