「天下布武」を掲げて全国制覇を進めていた織田信長は、天正五(1577)年から中国地方の攻略担当に羽柴秀吉を当てた。その秀吉に立ちはだかったのが、西国の雄・毛利氏であった。

 

秀吉は毛利方だった宇喜多秀家を見方に付け、天正八年に播磨の三木城、天正九年に因幡の鳥取城を兵糧攻めによって落城させた。

 

天正十年に秀吉は山陰を西進し、宇喜多の軍勢も率いて備中高松城を最前線に毛利軍と対峙した。これら中国地方の攻略は「秀吉の中国攻め」と呼ばれ、三木城と鳥取城の兵糧攻め、備中高松城での水攻めは壮絶な戦となり、中国攻めの三大攻防戦として知られている。

 

秀吉軍の「水攻め」により、備中高松城は湖面の浮城となった。「水攻め」の戦法による戦いは国内3例、海外では中国とオランダの2例。その中で成功した「水攻め」は、備中高松城のみである。この「水攻め」を考えたのは、軍師・黒田官兵衛といわれている。

 

秀吉は高松城が一望できる石井山中腹の寺寶院に陣を構えました。現在、寺寶院は山の麓へと移転しており、裏手の登山道から陣跡に登ることができます。

 

目印は、寺寶院裏の「太閤岩」の立て札。


石井山・秀吉本陣 2014.02.22

 

ここからは一本道を登って行くだけなので、迷うことはないと思います。


石井山・秀吉本陣 2014.02.22

 

5分から10分ほどで、右手に「宗治公 首塚跡」、左前方に「秀吉公 本陣跡」「寺宝院跡」の立て札が見えてきます。


石井山・秀吉本陣 2014.02.22

 

ひと登りした左手の開けた場所が、「秀吉本陣跡」です。


石井山・秀吉本陣 2014.02.22

 

前へ踏み出すと高松城とその周辺を一望できます。


秀吉本陣から見る高松城 2014.02.22

 

合戦から432年の年月を経ても、低地という条件の悪さからか、城周辺の宅地化は進んでいないようです。


秀吉本陣から見る高松城 2014.02.22

 

そのため秀吉本陣跡からは、合戦当時を彷彿させる景色を楽しむことができます。

 

高松城址公園史料館で、事前に位置関係などをチェックしてお出かけになるとよりお楽しみいただけます。


高松城址公園史料館・水攻めジオラマ 2014.02.22

 

この合戦へと向かっていた織田信長は天正十年(1582)年6月2日、本能寺で明智光秀の謀反により横死。秀吉は信長の死を伏せて毛利方と交渉、城主・清水宗治の切腹、開城と、毛利軍の高梁川以西への撤退を条件に講和が成立。

 

本陣手前の立て札を左に入ってすぐに、宗治公の首塚跡があります。


石井山・清水宗治公首塚跡 2014.02.22
石井山・清水宗治公首塚跡 2014.02.22

 

清水宗治公の「首塚跡」について

 

 天正十年(一五八二年)六月四日、講和の条件として自刃した清水宗治公の首級は、秀吉の本陣、石井山寺宝院境内に於いて、秀吉の首実検の後手厚く葬られ、一基の五輪塔を建立されたといわれている。

 その後、地元偉人を称える郷土愛は宗治公の顕彰へと進展し、明治四十二年に備中高松城本丸跡へ首塚の移築がなされた。

 

以上、駒札転載

 

 

同4日、秀吉は清水宗治が湖上で切腹をするのを見届けた。5日、和睦の儀式と兵糧の徴収を終えると、毛利軍の追撃があっても妨害できるように堤防を決壊させ、6日の早朝には撤退を開始した。

 

信長の「弔い合戦」を大義に掲げて明智光秀討伐のため、京都までの道のりを急いだ。秀吉は疾風怒濤のの大返しで、織田信長を討った光秀と山崎で対峙する。この電撃的な反転こそが「中国大返し」である。

 

山崎の合戦に勝利した後は、賤ヶ岳の合戦、小牧・長久手の戦い、小田原城の包囲・開城などを経て、秀吉は天下統一していくのである。秀吉にとって備中高松城の戦は、一気に天下人へとかけ上がる転機になった戦であった。

 

高松城水攻め史跡は、岡山と鳥取を結ぶ国道180号沿いにあります。案内標識などがあちこちに掲げられていますが、一番分かりやすい目印は最上稲荷の大鳥居です。


最上稲荷大鳥居 2014.02.22

 

だいたいの位置はR180号から鳥居を潜って、鳥居の左が高松城跡、右が石井山や蛙ヶ鼻の築提跡などです。

 

◇データー
名称:備中高松城
所在地:〒701-1335 岡山市北区高松558-2
城地種類:平城
築城年代:不明
築城主:備中石川氏
文化財史跡区分:国指史跡
アクセス:JR吉備線 備中高松駅下車 徒歩10分

名称:高松城址公園資料館
備中高松城資料館には、水攻めの古図や備中七城の資料、清水宗治の備前焼の像など、水攻め関係の資料を展示収蔵している。

開館時間:10時~15時

休館日:月曜日
入館料:無料

TEL:086-287-5554


名称: 秀吉本陣跡・宗治公首塚跡

所在地:〒701-1333 岡山県岡山市北区高松

アクセス:寺宝院裏手登山口より徒歩5~10分

駐車場:無

 

◆参考文献

『日本の100名城公式ガイドブック』 財団法人日本城郭協会 監修 学習研究社 発行

『戦国ラブガイドブック』 戦国武将研究会 編 東京書籍 発行

「高松城水攻め 驚天動地の奇策」 吉備路観光ツアー実行委員会 発行