三尾寺へと続く林道に突如として出現した鳥居


日咩坂鐘乳穴神社 2014.05.08

 

鳥居の前にある石柱に「日咩坂鐘乳穴(ひめさかかなちあな)神社」と刻まれています。地元では日賣宮さんと親しまれているということです。

 

シィ――――――ンと静まり返った奥へと続く参道・・・


日咩坂鐘乳穴神社 2014.05.08

 

こうしてみると、背筋がゾクッとする怖さを感じなくもありません。ですが、頻繁に農作業用の軽トラが通行します。さらに参道は自動車の通行が可能ですので、自動車で乗り付けて防犯を兼ねてお参りする近所の方も多いようです。


日咩坂鐘乳穴神社 2014.05.08
日咩坂鐘乳穴神社 2014.05.08

 

境内に入るとスグに人がやってきて、お参りの仕方や神社の由来などを教えていただきました。

 

・・・意外に防犯センサーやカメラが設置されていて、人の出入りがチェックされているのかもしれませんね。

 

ふつの神門を潜った先、右手に手水舎がありますので、ここで身を清めてからお詣りしましょう。


日咩坂鐘乳穴神社 2014.05.08

 

手水のつかいかたのイラストが実に少女趣味に富むものです。


日咩坂鐘乳穴神社 2014.05.08

 

拝殿前に進み出て、二礼二拍手一礼


日咩坂鐘乳穴神社 2014.05.08

 

拝殿はコンクリート造ですが、歴史を感じさせる奥の本殿は、江戸末期に文化一二年(1815)建立されたものだということです。

 

正面三間側面二間、千鳥破風付き入母屋造、唐破風向拝付き、桧皮葺き(現在は銅板葺き)。備中地方に多く見られる建築様式です。

 

日咩坂鐘乳穴神社 2014.05.08

千木を確認すると外削ぎなので御祭神は男神。お祀りされているのは大己貴命(おほなむち)、つまりは大国主ということです。

しかし元々は、当社の奥の谷底に口を開ける、日咩坂鐘乳穴を御神体としてお祀りしていたということです。

 

日め坂鐘乳穴神社

 

 本社は上古我地方民が鎮座地にある大洞穴を霊地として崇拝し奈良朝行基菩薩三尾寺(みおうじ)を草創するや山門鎮守の神として天平勝宝2年大洞穴の頂上本宮という所に伊弉諾伊弉冉命を勧請したものである。
 大同2年弘法大使三尾寺を中興すると本社も隆昌を来し、淳和天皇天長年間に社殿を築いた。当時洞内に石鐘乳(いしのちち)と称する薬石を産し名声を上げた。清和天皇貞観元年曲薬頭(くすりのかみ)出雲朝臣峯嗣を備中に遣し、此の洞穴から石鐘乳(いしのちち)を採った。 
 醍醐天皇延喜5年の延喜式神名帳備中18社の中に英賀郡(あがぐん)呰部郷(あざへごう)比売坂鐘乳穴(ひめさかかなちのあな)神社として記載されたる由緒正しい神社であり、所謂式内と称する崇厳なる神である。
 その後本宮の東方平地に社殿を築き日め宮(ひめみや)明神として遷座し、大巳貴命を祀る。爾来三尾寺が別当職として本社の祭典や社人の管理を行い、寛永4年前殿を築き文化12年4月本殿を再建立した。
 これが現存している社殿である。明治に入ると神仏分離が行われ、明治5年村社に列し社掌を任命して神社を管理させた。明治40年5月神饌幣帛料供進神社に指定され、同42年拝殿の改築及び社務所の新築を行い、無格社10社を合祀し、社運益々隆盛に向かった。
 爾来氏子一同由緒正しい式内社であるので県社に昇格しょうと協同一致して資財を奉献して基本金の造成を図り昭和5年10月県社となる。

 

以上、岡山県神社庁ホームページより 全文転載

 

本殿裏には、明日名門神社(鬼神社)、国司神社、荒神社の末社がお祀りされています。


日咩坂鐘乳穴神社 2014.05.08

 

元来の御神体である日咩坂鐘乳穴は、境内の左奥に抜けた先、高低差60mほどの谷底に存在しています。


日咩坂鐘乳穴神社 2014.05.08

 

同穴は観光洞ではなく、洞口にたどり着くまでも危険です。それに加え、入洞中の事故が多発しており、安全確保のため、立ち入りが禁止されています。