大山寺に残る最も古い建物は圓流院からスグ!!
大山寺阿弥陀堂
所在地 西伯郡大山町大山
建設年 天文21年(1552年)
構造 木造
指定 国指定重要文化財
伯耆の古刹
阿弥陀堂は西明院派の本堂で、もともと常行堂として藤原時代末に建立されたが、大洪水で破損したため、天文21年(1552年)古材を利用してこの土地に再建されたものである。現在の堂は西面した方形造、こけら葺、正面5間、側面5間の建物で、柱の径は60cmと太く、元の堂が大きかったことがうかがえる。
以上、『とっとり建築探訪 県民の建物百選』より転載
圓流院の西側から参道をまっすぐに進めば阿弥陀堂へと行き当たります。
堂内に安置されている木造阿弥陀三尊(木造阿弥陀如来及び両脇待像)は、1131(天承元)年仏師良円の作と伝えられています。1903(明治三六)年4月15日に国によって重要文化財に指定されています。
阿弥陀堂の脇に立つ五輪塔は「基好上人の墓」
基好上人の墓
承安の頃(約八百年前)天台の密教をもって、天下に知られた高僧で、後に臨済宗を開いた「栄西」も師事し、密教の戒律を伝授された。
承安の頃(約八百年前)天台の密教をもって、天下に知られた高僧で、後に臨済宗を開いた「栄西」も師事し、密教の戒律を伝授された。
以上、案内板より転載
阿弥陀堂左手の古道を通って大山寺参道へと戻りましょう。
夏山登山道へとつながる古道の途上、右手に現われた謎の石鳥居
鳥居の脇に建てられている案内によると「三方荒神跡」とあります。
三宝荒神跡
仏教では、「仏」「法」「僧」を三宝と言い、その三宝を守る神が「三方荒神である。「荒神」は怒りの表情をしており、火を好むと言われ、かまどの神としても祀られていていた。
以上、案内板より転載
石の鳥居の奥には神殿などがあったと思われるスペースが広がっています。山陰は日本海側の厳しい気候風土のため、木造建築を永く残すことが他所に比べて困難な地域です。まして大山の中腹に近い高地であれば尚更です。この大山寺一帯には、その気候によって潰えていった支院の跡地が多く見られます。
◆参考文献
『とっとり建築探訪 県民の建物百選』 社団法人鳥取県建築士会 発行
「大山寺リーフレット」 大山寺 発行