小豆島の西の玄関口、土庄港から高松ゆきのフェリーに乗って10~15分。
右手に見えてくる小豊島の南に浮かぶ小さな島「アアラ島」。
土庄町誌には阿原(アハラ)島と記されています。
1950(昭和二五)年に実施された調査で、石器時代の人の足跡が発見されています。
多くの漁船や釣り船、釣り人が集まる好漁場です。
30年ほど前、島のタウン情報誌「月刊ぴーぷる」の夏の怪談特集で読んだ記憶があります。
随分と古い話なのではっきりとは覚えていませんが、ざっくり言うとこんな感じ。
夜、親子の漁師がアアラ島に上陸した。すると鎌を砥いでいる恐ろしげな婆が居り、親子の顔を見てニヤリと笑うと「魚をくれ」と言ってきた。これは怪しいと思った父親は子どもに「船の中から魚を持ってきてくれ」と言った。船の中に入った子どもは魚が見つからないと叫んだ。父親はあるはずだと言い、船に乗り込むとすぐに艫綱や錨綱を切って島から離れて難を逃れたという。
この婆が何者なのかや、機転を利かせて逃げなければどうなったかなど、続きがあったかどうかは覚えていません。
出版元か地元の図書館で聞けば分かるかもしれません。
・・・がっ!!そこまでする気はありません(笑)
『決定版 日本妖怪大全 妖怪・あの世・神様』(講談社)に似た話がありました。
ダキ
佐賀県鎮西町(現・唐津市)の加唐(かから)島に現われるという女の妖怪で、人の命を狙う恐ろしいものである。ダキという言葉は、元々宮崎、大分両県では断崖のことをいうから、断崖絶壁にすんでいる妖怪というべきか。
あるとき、東唐津の漁師が子供を二人連れて、断崖下の海岸に上って火を焚いていた。すると見知らぬ女が来て、
「魚をくれ」
という。父親は長い経験からピンとくるものがあった。二人の子に、
「船の中から魚を持ってきてやれ」
と命じた。魚などはじめからないわけで、二人の子供は見つからないと叫ぶ。そんなことはないはずだ、といいながら、父親は自分も船に乗り込むが早いか、艫綱も錨綱も切って沖に逃げ出した。まんまとしてやられた妖怪は、
「えい、命を取りそこねた」
と、くやしがったという。
これがダキだが、以来、東唐津の船は加唐にやってきても、錨を下ろしただけで、艫綱はつけないということである。
ダキは磯女とか、濡れ女の一種ではないかと考えられる。
以上、『決定版 日本妖怪大全 妖怪・あの世・神様』(講談社)より
実に似たような話です。深掘りしてゆけば、どこかでつながっているかもしれません。
・・・がっ!!そこまでする気はありません(笑)
◆参考資料
『決定版 日本妖怪大全 妖怪・あの世・神様』 水木しげる 著 講談社 発行
『日本妖怪大事典』 水木しげる 画 村上健司 編著 角川書店 発行