境港市役所から直線距離にして南東方向400m弱、外浜街道(旧外浜往来)沿いにある「皇の松伝承地」。境高校入口交差点の北側にある和洋折衷、擬洋風建築にも見えるモダンな建物が目印です。玄関には「上道こども館」と「皇の松会館」の看板が掲げられています。
伝説 皇の松 由来
承久三年(一二二一)鎌倉幕府に敗れ、都を追われた後鳥羽上皇は、絶海の孤島隠岐の島へと配流され給う。七月十三日数人の近侍と警護の武士に囲まれて都を出発、不自由な旅を続けられ山陽より伯耆の山々を越えて、出雲国安来港より海路隠岐の島へと向ふ途次、上道灘に船を寄せられ、浜辺の松の下で、しばしご休憩あそばす。
其の時、松の下に住む翁ありて、上皇に茶とそば餅を献じ、お慰め申し上げたところ、上皇は大いにお喜びあそばされ、短刀一振りと松の下にちなんで松下の姓を、御下賜された。
上皇は本土との別離を目前にして、悲痛の心を歌に託され
天が下 おほふ袖たに なきものを
志ばしはゆるせ 浜松のかけ
と御製あらせられる。
往時の松は近郷近在の類なき名松であったが、明治三十年惜しくも枯れた。計測の結果、高さ十八尋一尺(二七・六米)幹の周囲五尋(七・六米)であったと伝えられる。
その後松は地主神として祀られ、地元の人達は「皇の松」と呼んで崇敬している。又、この地を王神敷といひ、現在の松はその後のものである。
昭和五年八月、昔日の上皇を偲んで、御製を刻んだ御駐輦趾碑(ごちゅうれんしひ)が建てられ、今に伝えられている。
昭和六十一年八月
上道皇の松保存会
以上、由来書き看板転載
道路から敷地内を見渡してもそれらしい松はありません。
会館敷地内には異常なほどトラロープが張られており、事件現場のような有様です。よほど入ってもらいたくないようですね。
以前、地元の方に松の木は会館の庭にあると聞きましたので、建物の奥に回ってみると鳥居と石の祠のようなものがありました。ただし建物に沿ってトラロープで規制線が張られているため、会館脇から遠くに見られる程度です。
それよりも目を引いたのがこの会館の建物です。水色の鎧板に赤い石州瓦、建具は残念ながらアルミサッシにリフォームされていますが、クラシカルで威厳ある建築物。この建物は旧上道町役場の庁舎であったということです。
玄関ポーチの日本建築でいう破風に当たるペディメントの飾りが、取って付けたような逆さま擬宝珠
ちなみに上道(あがりみち)町という地名は、港から京へ上がる時、初めに通る道のある町に由来するそうです。
境港文化財巡礼04
皇の松伝承地
JR境線・「上道駅」下車徒歩約15分
はまるーぷバス・メインコース「上道公民館」下車2分(メインコース右回り・境港駅から約17分)