境港市役所から直線距離にして南東方向400m弱、外浜街道(旧外浜往来)沿いにある「皇の松伝承地」。境高校入口交差点の北側にある和洋折衷、擬洋風建築にも見えるモダンな建物が目印です。玄関には「上道こども館」と「皇の松会館」の看板が掲げられています。

 

皇の松 2014.05.13

道路沿いに「境港市指定文化財」の標柱と由来書き看板があります。

 

伝説 皇の松 由来

 

 承久三年(一二二一)鎌倉幕府に敗れ、都を追われた後鳥羽上皇は、絶海の孤島隠岐の島へと配流され給う。七月十三日数人の近侍と警護の武士に囲まれて都を出発、不自由な旅を続けられ山陽より伯耆の山々を越えて、出雲国安来港より海路隠岐の島へと向ふ途次、上道灘に船を寄せられ、浜辺の松の下で、しばしご休憩あそばす。

 

 其の時、松の下に住む翁ありて、上皇に茶とそば餅を献じ、お慰め申し上げたところ、上皇は大いにお喜びあそばされ、短刀一振りと松の下にちなんで松下の姓を、御下賜された。

上皇は本土との別離を目前にして、悲痛の心を歌に託され

 

天が下 おほふ袖たに なきものを

 

            志ばしはゆるせ 浜松のかけ

 

と御製あらせられる。

 

 往時の松は近郷近在の類なき名松であったが、明治三十年惜しくも枯れた。計測の結果、高さ十八尋一尺(二七・六米)幹の周囲五尋(七・六米)であったと伝えられる。

 その後松は地主神として祀られ、地元の人達は「皇の松」と呼んで崇敬している。又、この地を王神敷といひ、現在の松はその後のものである。

 昭和五年八月、昔日の上皇を偲んで、御製を刻んだ御駐輦趾碑(ごちゅうれんしひ)が建てられ、今に伝えられている。

 

昭和六十一年八月

 

上道皇の松保存会

 

以上、由来書き看板転載

 

道路から敷地内を見渡してもそれらしい松はありません。

 

皇の松 2014.05.13

後ろの背が高い木はどう見ても楠・・・。

 

会館敷地内には異常なほどトラロープが張られており、事件現場のような有様です。よほど入ってもらいたくないようですね。

 

以前、地元の方に松の木は会館の庭にあると聞きましたので、建物の奥に回ってみると鳥居と石の祠のようなものがありました。ただし建物に沿ってトラロープで規制線が張られているため、会館脇から遠くに見られる程度です。

 

皇の松 2014.05.13

そして鳥居の前にもコーンとトラロープ(笑)
 
皇の松 2014.05.13
 
でも、松の木はありませんね。どうやら松の木は枯れてしまい撤去されたままのようです。
 
よくよく指定文化財の柱を見てみると「皇の松」ではなく「皇の松伝承地、つまり「松の木」ではなく、「松の木があったこの土地」が市の文化財に指定されているわけです。う――――ん、そういうことか!!

 

それよりも目を引いたのがこの会館の建物です。水色の鎧板に赤い石州瓦、建具は残念ながらアルミサッシにリフォームされていますが、クラシカルで威厳ある建築物。この建物は旧上道町役場の庁舎であったということです。

 

玄関ポーチの日本建築でいう破風に当たるペディメントの飾りが、取って付けたような逆さま擬宝珠

 

皇の松 2014.05.13

・・・和洋折衷というかミスマッチ。

 

ちなみに上道(あがりみち)町という地名は、港から京へがる時、初めに通るのあるに由来するそうです。

 

境港文化財巡礼04

皇の松伝承地

JR境線・「上道駅」下車徒歩約15分

はまるーぷバス・メインコース「上道公民館」下車2分(メインコース右回り・境港駅から約17分)