大阪の茨木市役所前、元茨木緑地に架かる高橋の欄干四隅にペロッと舌を見せる鬼の石像が立っています。
その名は茨木童子。生まれは越後(新潟県長岡市軽井沢)と、摂津(兵庫県尼崎市あるいは大阪府茨木市)という二つの説があります。
悪鬼・茨木童子伝説が残る大阪府茨木市は、大阪市と京都市の中間に位置する人口約28万人の特例市です。市内をJR・阪急・大阪モノレールが通っており、梅田から20分ほどで移動できるにもかかわらず北部は山、平野部に田畑も多く残り、ちょっとした田舎風景を感じることもできます。
阪急南茨木駅の東側一帯に大規模な弥生時代の遺跡があり、古くから人が住んでいたことが確認されています。阪急茨木市駅の北3kmには、宮内庁によって継体天皇の三島藍野陵(みしまのあいのみささぎ)に治定された太田茶臼山古墳があります。
戦国時代は摂津国主荒木村重傘下の中川清秀が、現在の市立茨木小学校付近に城を構えていました。城跡は急速な宅地化によって見る影もありませんが、茨木神社に移築されとされる搦手門(神社東門)や石垣にその面影を感じることができます。なお茨木神社は、市役所前高橋東詰め、写真の茨木童子の左後ろにあります。
市の中心部を阪急とJRが市内を並走しており、阪急茨木市駅とJR茨木駅は東西約1.2kmほどの距離です。両駅は大阪府道139号枚方茨木線で一直線に結ばれており、ちょうどそれらの中間に茨木市役所があります。
市役所前を南北に走る市道およそ5kmに沿って緑地公園が整備されています。その不自然に長―――――い公園は、茨城川の旧流路です。市の中心を走っていた旧茨城川は、川幅が狭い天井川でたびたび氾濫を起こす危険な川でした。1935(昭和一〇)年6月29日、大雨で堤防が決壊し大水害が発生したことを契機に1941(昭和一六)年から市内を通る部分の付け替え工事が開始されました。1949(昭和二四)年に工事が完了し、付け替え地点より下流は廃川になりました。その旧流路に市道と公園が造られ元茨木川緑地(通称:桜通り)になりました。
その川跡に立って四方に目を光らせている茨木童子は、大江山を根城に京を荒らしまわった酒呑童子一味のナンバー2とされています。
源頼光と頼光四天王らによる鬼退治で、四天王のひとり渡辺綱と戦いました。戦いの最中、酒呑童子が討たれるのを見て逃走を図り成功します。その後も渡辺綱と一条戻橋や羅城門で戦った故事が後世の説話集や能、謡曲、歌舞伎などで語り継がれています。
その話は「夜、若い美女に化けた茨木童子が渡辺綱に襲いかかるが返り討ちに会い片腕を斬り落とされます。茨木童子は腕を取り戻しに渡辺綱の元に現われてまんまと取り戻す」というような流れです。
一条戻橋は794年の平安遷都の時に架橋され、現在も同じ場所にあります。